歴史は勝者のものだという。それはプロ野球も同様かもしれない。ただ我々は、そこに敗者がいて、その敗者たちの姿もまた、雄々しかったことを知っている。 変化球、快速球、制球力
1998年に優勝、日本一に輝いた横浜。チームが大洋、本拠地も川崎だった60年に続く38年ぶり2度目の歓喜は、もちろん横浜へ移転して初めての快挙だった。打線は、打って打って打ちまくる“マシンガン打線”。一方の投手陣では、最終回に君臨するクローザーの“大魔神”
佐々木主浩の存在は象徴的だが、佐々木が登場するまでの8イニングは、スターター、そしてセットアッパーがゲームを作らなければならないことは言うまでもない。
絶対的なエースは不在。いや、ファンそれぞれの思い入れ次第でエースが決まるというべきか。ある人は多彩な変化球と投球術を駆使した左腕の
野村弘樹と言うだろう。またある人は、東北高、東北福祉大と、ともに佐々木の後輩で、快速球で勝負した右腕の
斎藤隆を挙げるかもしれない。野村と斎藤は、ともに13勝でチーム最多に肩を並べる。そして、その後の長い活躍もあり、自己最多タイとして残る12勝を挙げた“ハマの番長”三浦大輔のエース元年と位置づけている人も少なくないように思う。
いずれにしても、この98年に2ケタ勝利を残したのは野村、斎藤、三浦の3人のみで、いわゆる“先発三本柱”という存在だったことは間違いないだろう。佐々木も、“マシンガン打線”の顔ぶれも、そして
権藤博監督も、実に個性あふれる面々だったが、この3投手も個性では負けず、そして三者三様でもあった。
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横浜・野村弘樹
野村は87年にPL学園高のエースとして春夏連覇を達成し、ドラフト3位で大洋へ。ただ、150キロを超える快速球もなければ、誰にも打てない変化球があるわけでもなかった。だが、登録名を「野村弘」から改めた90年、新たに就任した
須藤豊監督の下で急成長を遂げ、初の2ケタ11勝。チームが横浜となった93年には17勝を挙げて最多勝のタイトルを獲得した。翌94年からは左肩痛に苦しむも、96年から2年連続10勝。完全復活を期したのが98年だった。
大洋ラストイヤーの92年に入団したのが斎藤と三浦。斎藤はドラフト1位で、三浦はドラフト6位の指名だった。斎藤は即戦力と期待されたものの、右ヒジ痛もあって開幕から1カ月ほどで登録が抹消され、戦力となったのは翌93年からだった。続く94年にはリーグ最多の12敗を喫したが、被本塁打わずか5という安定感。にもかかわらず、初の2ケタ10勝を挙げた96年にはリーグ最多の206三振を奪うも、リーグ最多の31本塁打を献上、11死球を与えるなど、独特のムラがある右腕だった。だが、翌97年に右ヒジ痛を発症して、手術。シーズンを棒に振り、再起に懸けたのが98年だった。制球力を磨いて着実に実績を積み上げていたのが三浦。95年から先発に定着し、97年に初の2ケタ10勝、新たに背番号18で迎えたのが98年だった。
集大成、再スタート、原動力
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横浜・斎藤隆
98年の3人に共通しているのは、数字の上でのキャリアハイではなく、それぞれのキャリアで、ひとつの達成を遂げていることだろう。完全復活を果たした野村は、日本シリーズでも第1戦(横浜)の先発マウンドを託されて勝利投手となるも、翌99年の春季キャンプで左ヒジ痛を発症。結果的に、この98年がキャリアの集大成となった。
一方、この98年の復活がキャリアの再スタートとなったのが斎藤。ペナントレースではカムバック賞を贈られ、日本シリーズでも2勝、翌99年には自己最多の14勝を挙げる。21世紀にはメジャーへ移籍した佐々木の穴を埋めるクローザーとしても成功を収め、自身もメジャーでクローザーとして活躍、45歳までプレーを続けて、
楽天で引退している。
対照的に、自己最多タイの勝ち星とはいえ、98年に悔いを残したのが三浦だった。8月4日の時点で10勝に到達していたが、22日の登板を終えて体調を崩し、肝機能障害が発覚。チームが38年ぶりの優勝をうかがう中で離脱を余儀なくされた。「投げられない時期が一番つらかった。とにかく少しでも早くマウンドに戻りたかった」と三浦。このときの思いが、長く続いた21世紀の暗黒期を支え続ける原動力だったようにも見えた。三浦はチームが
DeNAとなっても投げ続けて、24年の現役生活をまっとうした。
文=犬企画マンホール 写真=BBM