一昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 ざっくばらんな祝勝会

大きなスヌーピーに目がいってしまう
今回は『1971年11月1日号』。定価は90円。
巨人─阪急の日本シリーズ第3弾。
巨人・
王貞治の劇的なサヨナラ弾が飛び出した第3戦。
川上哲治監督は言う。
「負けている試合がいくつもあった。それが思ってもみないことでひっくり返ったこともある。ただ、王の一発は長いこと野球をやっているが、見たことがない」
単なるサヨナラ本塁打ではなかったということだろう。
結果的には、これで阪急の心を折った。第4戦7対4、第5戦6対1で巨人が勝利し、日本一。阪急は西宮に戻ることさえできなかった。
畳みかけた巨人の立役者は
末次民夫だった。
第4戦、巨人キラーと言われた阪急先発・
足立光宏が3回に突然崩れる。
黒江透修に死球、
長嶋茂雄がレフト前で一、三塁になると、王を敬遠。王はこの日、初回、7回も敬遠されているが、足立は、そこまで王を苦手にしていたわけではない。やはり前戦のショックが強烈だったのだろう。
この後、末次が満塁本塁打で4点を奪い、試合を早々に決定づけた。
末次は打率.368、7打点でMVPに輝いている。
負けた
西本幸雄監督は「巨人とは力は五分だと思ったが、まだ巨人に勝つためには多少の力ではダメだ。完全に力の差をつけるというプラスアルファがなければ」と言った。
末次の話をもう少し書く。
第5戦の勝利の後、MVPが末次と発表。ほかに
堀内恒夫、黒江、長嶋、森昌彦、王と候補者がおり、誰が選ばれてもおかしくなかったが、みな末次と聞いて喜んだ。
王は、
「よかった。今までぱっとしないスエもこれで来年から先が楽しみになった」
と言って涙した。末次と王は荒川道場の先輩、後輩で遠征の宿舎では同室だった。
長嶋も言う。
「スエのような1年間、あまりいいことがなかったやつがシリーズ男に選ばれて本当によかった」
末次はこの年、打率5割台のハイペースでスタートしながら4月21日の
中日戦で死球を受け、左手を骨折。長期離脱となった。
8月末にようやくシーズン1号本塁打。ナインの1人が「へえ、まだ1号か」と冷やかすと、昼行燈と言われた男が周囲をにらみつけ、怒ったという。
最終的には92試合の出場で打率.311だった。
左手甲の痛みは消えず、日本シリーズ前には吉田接骨師に、
「今度のシリーズだけは、なんとか手が痛くならんように、先生、どうか治してください」
と頼み込んだという。
日本一決定後、文京区湯島の宿舎「花水館」で7連覇の祝勝会。酔っぱらった川上監督と選手のやり取りを少し抜粋しよう。
「(高橋)一三(この日、完投勝利)、今夜はゆっくり寝ろよ。子どもをたくさんつくれよ」(川上監督)
「子どもがおらんの(柴田)勲ですよ」(黒江)
「おっ、そうじゃ、みんなに発表する。柴田のところは来年5月におめでたじゃった」
ワーッという爆笑。まるで親戚の飲み会のように和気あいあいの雰囲気になってきた。
「しかし、それにしても変じゃな。ペナントレース中よりシリーズのほうがチームプレーがよかったのはどういうわけじゃ」(川上監督)
「それは監督、罰金がなかったからでしょ」(黒江)
「それは違いますよ。みんなが栄光をかけて戦ったからです」
マジメくさって答えたのが堀内。ここでまた、爆笑になった。
「おい、末次、あいさつしろ」(長嶋)
そう言われて立ち上がった末次が一言。
「慣れないことをすると、ほんと疲れます」
いつもはおとなしい照れ屋の言葉に、一斉に歓声が起こった。
前号のタイトルの誤字、すいませんでした。
では、また月曜日に。
<次回に続く>
写真=BBM