一昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 カギは西本監督の大橋への思い入れか

日本シリーズでの阪本
今回は『1971年12月20日号』。定価は90円。
1971年12月1日、球界に衝撃が走った。パ・リーグ初という3対2のトレードだ。
阪急の
岡村浩二、
阪本敏三、
佐々木誠吾と東映の
種茂雅之、
大橋穣の交換だったが、岡本、種茂は正捕手、阪本、大橋は正遊撃手だ。要となるポジションの選手、しかも2人の交換はチームのバランスを崩す危険もある。東映はともかく、71年の覇者阪急がなぜ、と騒がれた。
それじゃなくても当時のトレードは構想外、不満分子の放出の意味合いが強かった。
最初のアプローチは、阪急・
西本幸雄監督だった。
もともと西本監督は東映の遊撃手・大橋の守備力にベタ惚れし、シーズン中から「あれはすごい」と報道陣にも言っていたという。
しかも、日本シリーズだ。
西本監督は、阪本の守備に明らかにイライラしていた。第3戦、
巨人・
王貞治のサヨナラ本塁打の前、
長嶋茂雄の二遊間の当たりをグラブにかすりながらヒットにしてしまったことがクローズアップされるが、第1戦でも、長嶋の打球にあとわずかで届かず、センター前ヒットがあった。打撃面でも第2戦ではバントのチャンスに決められず、このときも西本監督の表情が怖くなった。
「巨人打倒、日本一のカギは、二番・遊撃手」。西本の脳裏にそう刻まれたようだ。
ただし、阪本の守備は決して下手ではない。ただ、職人肌もあって、ややポジショニングを極端にすることがあり、逆を突かれたとき淡泊に映ることもあったという。
また、バッティングも巧みで、こちらは明らかに大橋より上だった。
東映側も阪本─大橋のトレードを申し込まれた際、
田宮謙次郎監督が大歓迎したという。
大橋は、確かに守備はうまいが、大学時代、
田淵幸一(法大─
阪神)に匹敵と言われた打力がさっぱりで、「期待はずれの選手」と言われ続けてきた。
チームカラー的にも東映はさほどち密な野球をしていたわけではなく、大橋の守備力も半ば“宝の持ち腐れ”だったのかもしれない。
東映は、このトレードの申し出があった際、捕手交換も提案した。
田宮監督が種茂のリードを信用していなかったことがある。話が来たとき、相手の“大橋欲しさ”の思いの強さを感じ、「ならば」と種茂と岡村という正捕手トレードを持ち掛け、実現させたようだ。
西本監督、岡村と同じ立大出身で、親分子分の関係とも言われた。両者に何かあったのでは、と憶測が飛んだが、それほど大橋が欲しかった、ということだったのではないだろうか。
では、またあした。
<次回に続く>
写真=BBM