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球界屈指のスラッガーながら本塁打王には縁がなかった選手

 

 現在、パ・リーグの本塁打ランキングでトップを走るのが20本塁打の日本ハム中田翔だ。この調子を維持すれば最多本塁打のタイトルも期待できるが、意外にも中田はこれまでに本塁打王になったことがない。球界屈指のスラッガーでも、本塁打王になるのは難しいということだ。さて、過去には中田と同じように、名スラッガーでありながら、本塁打王に縁遠かった選手がいる。

あと1本でタイトルを逃した例も……



「球界屈指のスラッガーだが本塁打王には縁がなかった選手」の筆頭が、西武、巨人などで活躍した清原和博だ。プロ1年目にいきなり31本塁打を記録すると、その後も毎年のように本塁打を量産。プロ入りから21年連続2ケタ本塁打、13年連続20本塁打以上の日本記録を達成し、通算本塁打は歴代5位の525本だ。しかしながら、キャリア22年で最多本塁打のタイトルを獲得したことは1度もない。キャリアハイは1990年の37本だが、この年は同僚のオレステス・デストラーデが42本を打っており、タイトルは獲得できなかった。

 通算本塁打数歴代上位の選手では、衣笠祥雄も本塁打王に縁がなかった選手。優れた守備と走力だけでなく、豪快なバッティングも魅力だった衣笠は、キャリア23年間で504本塁打を記録。これは張本勲と並び歴代7位の数字だ。衣笠は毎年のように2ケタ本塁打を記録したが、最多本塁打のタイトルは1度も獲得できなかった。当時は王貞治田淵幸一、同僚の山本浩二など本塁打争いで強力なライバルが多かったのも、タイトル獲得が難しかった一因かもしれない。

 スラッガーという印象はあまりない「安打製造機」の張本だが、先述のように衣笠と同数の通算504本塁打と強打も兼ね備えた選手だった。日本ハム(東映、日拓)時代の1970年にはキャリアハイの34本塁打を放ち、シーズン30本塁打以上も通算5度記録している。しかし、本塁打王のタイトルに輝くことはなかった。

 2004年に打点王に輝き、通算本塁打は歴代10位の476本を放っている金本知憲も、実は最多本塁打のタイトルには縁がなかった選手。広島時代の1997年は33本塁打を放っているが、ヤクルトドゥエイン・ホージーの38本、巨人・松井秀喜の37本におよばずリーグ3位。阪神に移籍して3年目の2005年にはキャリアハイとなる40本塁打を記録するも、広島の新井貴浩がそれを上回る43本塁打を放ち、リーグ2位に終わった。その後も阪神打線の中心として活躍するも、本塁打王のタイトルを獲得するには至らなかった。

 巨人で活躍し、キャリア通算321本塁打で歴代38位にランクインしている高橋由伸は、「あと一歩」のところで本塁打王を逃している。プロ10年目の2007年、高橋は45年ぶりの開幕戦初球先頭打者本塁打を放つなど目覚ましい活躍を見せ、本塁打はキャリアハイとなる35本を記録した。巨人の公式戦終了時はリーグトップタイ(なんと4人が並んでいた)だったが、高橋らと並んでた横浜・村田修一が、広島との最終戦で本塁打を放ってタイトルを獲得(相手はこの試合で現役を引退する佐々岡真司だった)。高橋は惜しくもタイトルを逃し、その後引退まで打撃タイトルを獲得することができなかった。

阪神・ブラゼル


 特筆すべき数字を残しながらも最多本塁打のタイトルを逃し、結局無冠でチームを去ったのが西武、阪神、ロッテでプレーしたクレイグ・ブラゼルだ。阪神時代の2010年にシーズン記録としては歴代27位タイの47本塁打を記録したが、巨人のアレックス・ラミレスがそれを上回る49本を打ったためタイトルを逃した。この活躍から次シーズン以降のタイトル獲得も夢ではないと思われたが、2011年は統一球の影響で不振に陥り、2012年はケガの影響で活躍できず。残念ながらそのまま自由契約となってしまった。

 中田翔はこれまでに本塁打数リーグ2位を2度(2012、2013年)記録と、惜しいところでタイトルを逃している。今シーズンは2020年8月25日終了時点で20本。2位のソフトバンク柳田悠岐とは2本差だ。まだシーズンは半分以上残っているが、念願の最多本塁打のタイトル獲得となるか、中田のバッティングに注目したい。

文=中田ボンベ@dcp 写真=BBM
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