
久保田球審(左)に守備位置の移動を告げる野村監督。宮本の代わりに右翼・秦真司がベンチに下がった
プロ野球の歴史の中から、日付にこだわってその日に何があったのか紹介していく。今回は1993年8月29日だ。
その昔、さい配ぶりが“魔術”という言葉で形容された
三原脩監督は大洋監督時代、エースの
秋山登をワンポイントで三塁を守らせ、別の投手のをマウンドに送り、次打者を打ち取った後、再び秋山をマウンドに戻して投げさせるという“離れ業”を演じ、ファンをアッと言わせた。
この日の横浜対
ヤクルト戦(横浜)で、“魔術”が再現された。3対0とヤクルトのリードで迎えた5回裏二死後、ヤクルト先発の
宮本賢治が横浜の二番・
石井琢朗に四球を与え一、二塁となったときだった。
次打者・
高木豊はここまで2打数2安打。完全に横手投げの宮本をカモにしていた。三塁ベンチから出てきた
野村克也監督は主審に守備位置の変更を告げると、マウンド上の宮本は右翼のポジションへ。代わりにマウンドに上がったのは新人左腕の
山本樹だった。
山本は野村監督の期待に応え、高木を空振り三振に斬って取りピンチを切り抜けた。そして6回からマウンドに戻った宮本はそのまま8回まで投げて、3対1の勝利に貢献。自身は2年ぶりの白星を飾った。
奇策が功を奏した野村監督は「あそこはあれした手がなかった。宮本には高木だけが難関だと思っていたから……」と薄氷を踏む思いの投手リレーが決まりホッとした表情。“主役”の宮本も「ライトと言われたときは(降板させられなくて)うれしいような、情けないような複雑な心境でした」と言いながらも、忘れかけていた勝利の味に相好を崩していた。
写真=BBM