一昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 東の横綱は巨人・福田コーチ

右が福田コーチ。正面が高田
今回は『1972年1月3.10日合併号』。定価は120円。
巨人が
広島に遠征した際、こんなエピードがあった。
「カキを食いに行くのは
福田昌久コーチと高田(繁)の2人だけ」
広島名物はカキ。しかし、これを食べに行くのは2人だけだったという。
理由は麻雀だ。福田は強すぎて仲間外れになり、高田は巨人でただ一人、麻雀をしなかったからだった。巨人、さらに言えば球界に限らないが、成人男子にとって、麻雀が最大の娯楽とも言われた時代だ。
福田は一塁コーチをやっていたが、走塁に関してはかなりち密な理論を持ち、走者のリードを常にピタリと的中させた。
柴田勲は3メートル35センチ、高田は3メートル5センチといった具合だ。帽子のひさしを利用し、視線とひさしの角度で測定していたらしい。
大洋のコーチとなった
青田昇もすごい。この人は完全なギャンブルのプロ。現役時代の遠征時は試合が終わってメシを食ったらすぐ麻雀を始め、翌日も朝起きたらすぐ始め、試合から帰ったらユニフォームのまま、すぐ始めたという。
競馬もそうだし、何をやっても強い。しかも、麻雀では相手が強かろうか弱かろうが全力でやるタイプだったらしい。
青田の逆が
川上哲治監督。この人の麻雀は勝率は8割5分を超えているが、「実力はせいぜい関脇クラス」と評価が低い。要は勝てる麻雀しかしないから、という。
弱かったのが、昔なら巨人・
南村侑広。同僚の
別所毅彦にカモにされ、別所が家を新築した際、お祝いの席に呼ばれると、その四畳半の部屋に「南村の間」と紙が貼ってあったという。南村から勝った金で、この部屋ができた、ということだ。
現役では
長嶋茂雄が弱かったが、野球とは違い、勝っても負けても、あまり気にしなかったらしい。
では、またあした。
<次回に続く>
写真=BBM