
さわやかな笑顔を浮かべるルーキー時代の巨人・高橋由伸。1年目から好成績を残したが……
巨人の
菅野智之は、今シーズン開幕10連勝と破竹の快進撃を見せている。プロ入り8年目ですでに97勝と、このペースなら過去のレジェンドにも比肩する成績を残すことは間違いないだろう。そんな菅野だが、プロ1年目は13勝6敗と圧倒的な成績を残したものの、新人王を逃している。今回は、菅野のように「驚異の成績を残しながらも新人王を逃した名選手」をピックアップしてみた。
球史に残るレジェンドも新人王を逃す

新人王を逃した1年目オフの阪神・村山実。非常に達筆だ
「驚異の成績を残しながらも新人王を逃した選手」の筆頭が、「ザトペック投法」で有名な2代目・ミスタータイガースの村山実だ。1年目の村山は18勝10敗、防御率1.19とリーグトップレベルの成績を残し、最優秀防御率のタイトルを受賞。さらにプロ入り1年目ながら沢村賞にも選ばれた。しかし、新人王は当時の新人最多本塁打記録を更新する31本を放った大洋の
桑田武が選出。村山は圧倒的な成績を残しながらも新人王を逃すことになった。1年目に沢村賞に選ばれた新人はこれまで6人いるが、新人王になれなかったのは村山のみだ。
その村山の後継者として期待された
江夏豊も、プロ1年目に際立った成績を残したが、新人王を逃している。1967年に4球団競合の末、阪神に入団した江夏は、新人ながら積極的に起用され、12勝13敗という成績を残した。援護が少なかったこともあり結果的に負け越したが、剛速球でリーグ屈指の大打者を相手に三振を量産し、最終的にリーグ最多の225奪三振を記録。しかし、これだけ印象深い活躍をしながらも、新人王には選ばれなかった。
15勝を挙げながらも新人王には選ばれず
1987年のパ・リーグは、日本ハムの西崎幸広がルーキーながら15勝と圧巻の投球を披露。西崎は7敗と大きく勝ち越しており、チームのAクラス入りに大きく貢献したが、新人王は同じく15勝を挙げ、リーグ最多奪三振を記録した近鉄の
阿波野秀幸が受賞した。新人2人の激しい新人王争いは当時大きな注目を浴び、2人はその後チームのエースに成長。2人の対決は大いに盛り上がることとなった。
現在の
広島監督・
佐々岡真司は1990年、プロ1年目から先発、中継ぎ、抑えと複数の役割を任され、44試合で13勝11敗17セーブと大車輪の活躍を見せた選手。当時のNPB記録である17試合連続セーブを記録するなど、新人とは思えない圧巻の投球を披露した。これだけの成績を残せば例年なら新人王に選ばれてもおかしくないが、この年は
中日の
与田剛(こちらも現監督・中日)が最優秀救援投手のタイトルを獲得。新人では史上初だったこともあり、新人王にも与田が選手された。
同年、パ・リーグでは後に球界屈指の好打者となる
石井浩郎が打率.300、22本塁打と、規定打席には到達しなかったものの驚異的な成績を残した。しかし、この年のパには
野茂英雄という圧倒的な存在(最多勝利、最優秀防御率、最多奪三振、最高勝率を獲得し、沢村賞とMVPにも選出)がいたため、新人王に選ばれることはなかった。
圧倒的な成績でも受賞できなかった激戦の年

振り子打法から安打を量産した阪神・坪井智哉
1998年のセ・リーグは、14勝を挙げた中日の
川上憲伸が新人王に選ばれたが、この年の新人王争いはまれにみる激戦だった。投票数2位の巨人・高橋由伸は、126試合に出場して打率.300、19本塁打、75打点を記録。同3位の阪神・坪井智哉は終盤まで首位打者争いを繰り広げ、タイトル獲得こそできなかったものの、2リーグ制以降では新人最高となる打率.327をマークした。両者ともに、新人王に選ばれてもおかしくない数字だった。
翌1999年のセ・リーグも激しい新人王争いが展開された。最終的に新人王に選ばれたのは新人ながら投手四冠に輝いた巨人の
上原浩治だったが、中日の
岩瀬仁紀は65試合に登板して防御率1.57と抜群の安定感を披露。同じく中日の注目ルーキーだった
福留孝介は、いきなりレギュラーポジションを獲得し、132試合で打率.284、16本塁打、52打点の好成績を残した。
今シーズンの新人王争いは、セは巨人の
戸郷翔征と広島の
森下暢仁の一騎打ち、パは傑出した存在がおらず激戦となっている状況だ。果たして好結果を残したものの、受賞を逃す選手は出るのか、今後の展開に注目だ。
文=中田ボンベ@dcp 写真=BBM