1997年にはエンゼルスの長谷川滋利、メッツの柏田貴史、ヤンキースの伊良部秀輝と3人もの日本人メジャー・リーガーが誕生した。この中で一番メジャー・デビューが早かったのが長谷川だ。初登板は開幕早々の4月5日、本拠地アナハイム・スタジアムでのインディアンス戦だった。先発ローテーションの4番手として先発する。 高校を中退して渡米

日本時代からクレバーな投球が武器だった長谷川
3回までは無失点。4回に四球と中前打で無死一、二塁のピンチを招き、右飛で一、三塁となった後、マニー・
ラミレスの三ゴロの間に1点を許した。続く5回には
ケビン・ミッチェルの右前打の後、サンディ・アロマーに左超え本塁打を浴び、さらに1点を失い、走者を残して降板した。結局7安打、5失点で敗戦投手と黒星スタートとなったが、これがメジャーでの日本人投手最多となる517試合登板への第一歩だった。
このデビュー戦に至るまでの道筋は、長期的で戦略的だったように思える。
村上雅則は野球留学からの昇格。
野茂英雄は日本球界を飛び出した。
マック鈴木は高校を中退して渡米。長谷川は金銭トレードで円満に移籍した。
もともとメジャーにあこがれていた長谷川は、
オリックスにいたジム・コルボーン投手コーチの影響もあり、アメリカへの夢を膨らませる。英語の勉強を始め、球団首脳にはことあるごとにメジャーへの希望を伝え、着々と道筋を作り、球団と波風立てることなく、移籍したいと考えていた。
オリックスは1995年にリーグ優勝、翌96年には日本一に輝く。長谷川は、そのオフに球団の了承を得て金銭トレードでエンゼルスに移籍した。結局オリックスでプレーしたのは6年間。その間にしっかり準備を進め、根回しも怠らず目標を達したのだった。スーツ姿で英語の経済誌などを読む姿は、プロ野球選手というよりビジネスマンのようで、そのイメージそのままで、戦略を進めたのだった。
学生時代の夢はプロに入ることだったという。プロ入りしてからはメジャー・リーグでプレーすることになっていった。「次々と夢を実現してきましたね」と長谷川本人に言うと「本当ですね。自分でも大したものだと思います」と返ってきた。
メジャーに来られるだけでも確かに大したものだが、メジャーで生き残ることができたのはもっと素晴らしい。先発投手としては壁に当たったが、リリーフに活路を見出した。そこにも長谷川らしい工夫があった。(文中敬称略=次回に続く)
『週刊ベースボール』2020年9月21日号(9月9日発売)より
文=樋口浩一 写真=Getty Images