今年4月9日、大洋や
ヤクルトで監督を務めた関根潤三さんが亡くなられた。その後、ヤクルトOBの
広澤克実さんに、関根監督との思いで話を聞いたのだが、その話がとても印象に残っている。
「関根監督は怒らないんですけどね、いや怒るんですけど、『バ~カ』って言うんですよ。いやいや、『バカ』ではないです。『バ~カ』です。怒っているようには全然聞こえないんですけど、あれがね、キツいんです。怒られちゃったなって、こっちは思うんですよ。内藤(尚行)なんかは、言われて半泣きになってました。その『バ~カ』は笑いながら言うんですけど、目は笑ってないんです。それ以外は、ニコニコしてる方でした」(広澤)
先日、小社から刊行中の「よみがえる1980年代のプロ野球」シリーズの「セ・リーグ総集編」の取材で、広澤さんとの“イケトラコンビ”として絶大な実力と人気を誇った
池山隆寛現ヤクルト二軍監督にも話を聞いた。
すると、池山さんも同じように「関根さんは怒らないんですけど、怒りたいときは『バ~カ』って言うんですよ。その意味が分からなくて、僕たちは『なんだ? 今の“バ~カ”はどういう意味だ!?』なんて(笑)。まあ、土橋(正幸)監督のときも関根監督のときも、基本的には広澤さんが怒られ役で盾になってくれたので(笑)、僕のところにカミナリが落っこちてくることはありませんでしたけどね。僕は一度だけ言われたことありますよ、『バ~カ』って。どうして言われたかは覚えてませんけど(笑)」と話してくれた。
広澤さんは「オープン戦、ペナントレース、オールスター、東西対抗、全試合出るからなって(関根監督に)言われまして。休んだ記憶がない。移動日だとかは、全部“広澤以下全員練習”でした。僕が基準。僕より上って杉浦(亨)さんとか大ベテランになっちゃうから。関根さんのときの移動ゲームとかは、本当に休んだ記憶がないですよ。でも、チームワークと雰囲気は良かったんですよね」と笑った。
関根監督がヤクルトで指揮を執った1987~89年はすべてBクラスに終わっているが、90年、
野村克也監督を迎え、イケトラコンビはチームの中心として黄金時代を築き上げていく。80年代の若かりしイケトラの思い出話は、10月7日発売の「よみがえる1980年代のプロ野球 セ・リーグ編」で。
写真=BBM