一昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 当時のサイン盗み事情

V9の司令塔と言われた森
今回は『1972年2月21日号』。定価は90円。
兼任コーチとなった
巨人・森昌彦捕手と俳優・宝田明の対談があった。
このとき65年に移籍入団し、すでに引退していた
金田正一の球を森がなぜノーサインで受けるようになったのか、という話があった。
ほぼ予想どおりの展開だが、抜粋する。
「あの人は国鉄時代、(捕手の)根来君とノーサインというのを聞いていました。
ジャイアンツに来て、僕はどちらでもいいが、ジャイアンツの場合はチームプレーがあるし、僕が要求したいものもあるから、一応、サインを作ろうじゃないかになった。
カネやんもサインどおりほうるということだったんですが、開幕第1戦ですよ、
中日とやった。1回から3回くらいまでサインどおりいった。
4回くらいでしたね。カーブといえば真っすぐ、真っすぐといえばカーブ(笑)。全部逆です。仕方ないから『これじゃケガするからノーサインでいきましょう。あなたの好きなようにほうってください。僕は何が来てもいいように、そういう気持ちで守って捕りますから』と。
それからずっとノーサインです」
また、当時のサイン盗み事情についても話していた。
前年、
ヤクルトが神宮でサイン盗みをしていた、という話を受けてである。
森 「プロである以上、相手がサインを盗むならば、解読できないようなサインをわれわれがやることは当たり前のことですから。だから神宮でヤクルトとやるときは神経を使いました」
宝田 「どういうふうにやるわけですか」
森 「センターで望遠鏡でキャッチャーのサインをのぞいているわけです。それをベンチならベンチにいる人がバッターに教えるのでしょうね。バッターとしては何が来るのか分かって打つのはごく簡単なことですよ。だから相手には解読できないサインをやるわけです」
宝田 「ただ移籍する選手もいますから秘密がもれますね。毎年毎年サインを変えるんですか」
森 「それは変えます。やはり移籍してきたら僕らも聞きますからね。相手の秘密を」
宝田 「卑怯でもなんでもない」
森 「それはそうです。どうということはない。自分がそこの球団の一員になるのだから」
では、またあした。
<次回に続く>
写真=BBM