一昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 大沢ロッテはどこに行くのか

監督交代時の会見。左から濃人前監督、中村オーナー、大沢監督
今回は『1972年2月21日号』。定価は90円。
「昭和50年(1975年)
ロッテ王国建設」の目標に向け、中村長芳オーナーが活発に動いている話は何度か書いた。
シーズン中の濃人監督から
大沢啓二監督への交代劇に始まり、オフには
江藤慎一、ロペス、
榎本喜八と主軸打者の放出。
世代交代、守り走塁重視の野球への移行は分かるが、急ぎ過ぎとの批判も多かった。
移籍騒動の時期、夕刊T紙のA記者が「ロッテ王国建設どころか滅亡になりかねない。事実一部の選手が批判めいた発言をしている」と書いた。
激怒したのが大沢監督だった。その記事を書いた記者を見つけると、
「うちのどの選手が俺の批判をしているか名前を挙げてみろ! 俺が今、その選手をこの場でクビにしてやる」
と息巻いた。
いかにも血気盛んな大沢監督らしい逸話だ。
大沢は日本の監督としては異例の5年契約を結んでおり、これらの移籍もそれがあるから、と言っていた。
しかし、かつての恩師・
鶴岡一人氏はこう注意している。
「来年(今シーズン)が勝負の年や。ロッテ王国を築くというスローガンで五年計画を出しているが、日本人は概して熱しやすく冷めやすい。5年という長い年月は待ってくれない。1年1年勝負のつもりでやらないかん」
さすが親分の慧眼というべきか。
前オーナー、永田雅一は球団の身売りと大映の倒産のショックで、このとき入院生活を送っていた。
この記事では永田がオーナー職を去る際の涙のあいさつも書いてあった。
「私はオリオンズを去っても諸君と赤の他人になるのではありません。
私の生存する限り私の魂は球界、そしてロッテオリオンズに生き続けるのです。
近い将来、私は再びプロ野球に戻ってくるつもりです。私が戻ってきたときは、かねてからの宿願である日本一になって迎えてください。
どうか球団を立派に育てるために立派にやってください」
大沢ロッテはどうなるのか。
では、またあした。
<次回に続く>
写真=BBM