「大魔神」佐々木主浩がメジャーに挑戦したのは2000年。150キロを超える速球と落差の大きなフォークボールは、メジャー関係者から「超一流の救援投手」と注目されていた。NPB10年間で通算229セーブ。「アメリカに興味はない」と言っていたものだが、日本で実績を重ねて新たな舞台を求め、海を渡った。 一時は中継ぎ降格も
メジャー1年目からクローザーとして真価を発揮した佐々木
マリナーズには1999年に33セーブを挙げたホセ・メサがいたが、佐々木はクローザーの座を奪った。初登板は開幕2戦目の4月5日、本拠地でのレッドソックス戦だった。9対3とリードした9回にマウンドへ上がり無失点。翌6日の同カードでは5対2の9回に登板し、3者連続三振で初セーブを手にした。
救援失敗なく4月を終えたが、5月に入ると試練を味わうことになる。10日のレンジャーズ戦、5対5の8回二死二、三塁で登板。無失点に切り抜けた。だが9回に1点を勝ち越したその裏、一死一塁でデビッド・セギーに右越え逆転サヨナラ本塁打を喫して初黒星を喫した。12日のアスレチックス戦でも7対6の9回に元
中日の
マット・ステアーズに右越え逆転サヨナラ3ランを浴びた。これにはルー・ピネラ監督は試合後、報道陣に「今日、佐々木はクローザーの仕事を失った」と激しい口調で言った。
この後、佐々木は中継ぎとなり、メサがクローザーに。しかし19日のレイズ戦でクローザーに戻り、1点リードの9回を無失点に封じて5セーブ目を挙げ、復調した。
このシーズン、マリナーズはワイルドカードでプレーオフ進出を果たす。佐々木は4試合に登板して0勝0敗3セーブと安定した成績を残した。
1年目のレギュラーシーズンでは63試合に登板して2勝5敗、防御率3.16。ア・リーグ3位の37セーブで95年の
野茂英雄に続く日本選手2人目の新人王に選出された。36セーブだったあのヤンキースのマリアノ・リベラを上回っていたのだ。
「クローザーは相手の打者に“あいつが出てきたらもうダメだ”と思わせなければいけない。絶望感を与えなければいけない。そのためには三振を奪い、完全に牛耳らなければいけない」と言っていた。メジャーでも1年目からその言葉どおりのピッチングだった。そして2年目、佐々木という守護神を持ったマリナーズはメジャー史上最多タイ記録の116勝を挙げることになる。(文中敬称略)
『週刊ベースボール』2020年11月16日号(11月4日発売)より
文=樋口浩一 写真=Getty Images