
高山の練習パートナーとしてティーを上げる明大時代の佐野(左)。先輩の打撃を間近で見て、吸収していった
打率リーグ2位につけるチームメートの
梶谷隆幸が2打席無安打でベンチに下がったことで、打率.328の
佐野恵太が最終戦(11月14日、
巨人戦=横浜)で初の首位打者に輝いた。プロ4年目で初めて規定打席に到達し、獲得した快挙だった。
最初に佐野の姿を見たのは5年前の2015年2月。その年のドラフト1位候補だった
高山俊(現
阪神)の取材で明大グラウンドを訪れたときのことだった。高山とペアを組んでロングティーを打つ2年生の左打者に目が釘付けになった。
急角度で打ち上げられる打球が次々とオーバーフェンス。飛距離は先輩である高山をしのいでいた。同行したカメラマンが同じ左打者の高山と勘違いして、夢中でシャッターを切っていたのが記憶に残っている。それが佐野だった。
大学3年で一塁のレギュラーとなると3年秋、4年春には東京六大学リーグでベストナインに選出。しかし、守備における汎用性の低さがネックとなったのだろうか、スカウトの評価は高くなかった。チームメートの
柳裕也(現
中日)、
星知弥(現
ヤクルト)という注目右腕の影に隠れ、佐野は無印だった。善波達也監督(当時)は、佐野が広陵高時代に捕手だったこともあり「プロに行きたければ、捕手をやらないか」と何度かアドバイスを送ったが、本人は固辞。「バット一本」で勝負する決意は固かった。
そうした経緯もあり、ドラフトではなかなか名前が呼ばれなかった。全体の84番目に
高田繁GM(当時)の「もう1人いいか?」という鶴の一声で
DeNAが9位で指名。ぎりぎりでプロの世界に滑り込んだのは、何度も語られたエピソードだ。
今シーズン、
ラミレス監督が海を渡った
筒香嘉智の後継者として、レギュラー経験のない佐野を「主将・四番」に異例の大抜てき。シーズン終盤は左肩関節脱臼で抹消となり、フル出場は叶わなかったが、打率.328、打点69、本塁打20は堂々とした数字。プレッシャーを「バット一本」ではねのけ、新し境地を切り開いてみせた。
文=滝川和臣 写真=BBM