一昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 江夏の心の揺れを見抜き強気の攻め

第1試合で先制弾を放った中日・大島
今回は『1972年4月24日号』。定価は100円。
1972年4月9日の開幕戦。
与那嶺要新監督率いる中日は
阪神とのダブルヘッダーだったが、連勝と順調なスタートを切った(中日球場)。
際立ったのは、与那嶺監督の強気の姿勢だ。
逆に阪神は1戦目、
古沢憲司、2戦目、
若生智男が先発。この後に控える
巨人戦のため、エースの
江夏豊、さらに
村山実監督自身を温存したのが裏目に出た形だ。
1試合目、まず中日は若武者・
大島康徳が先制2ラン、バートにも本塁打が出て6対3の快勝。バートの一発はノースリーから与那嶺監督の「GO!」を確認してのものだった。
2試合目はもつれ、1対1と同点のまま7回。ついに江夏を引きずり出す。
しかしさすが江夏。先頭の
飯田幸夫をいきなり三振。最後はハーフスイングを取られてだったが、ここで飛び出したのが、与那嶺監督だ。
「今のは絶対に振っていない!」
と審判に猛抗議。コーチ時代は温和な印象があっただけに、阪神だけでなく、味方ベンチも驚いていた。
これには与那嶺監督の計算もあったはずだろう。江夏の好投で意気消沈となりかけたベンチに再び火をつけるためだ。
9回表、阪神は捕手の
辻恭彦からソロが飛び出し、1点勝ち越し。勝利へのおぜん立ては整った。
しかし、その裏、中日はミラーが遊撃の失策で出塁。その後、
木俣達彦がヒットで続く。
迎えたバッターは大島だったが、ベンチは満塁策をとり、歩かせた。
江夏は、ここから明らかに様子がおかしくなった。敬遠のサインに不満だったのだろう。さらにその後の
島谷金二が一塁後方にうまく落とし、2対2の同点。
マウンドで江夏の顔は真っ赤になる。あわてて捕手の辻が歩み寄ったが、そっぽを向いて、何も耳に入っていない様子だった。
迎えたのはバート。このときも与那嶺監督は「待て」も何もない。ただ、「GO!」だった。
そして劇的なサヨナラ満塁弾。
試合後、与那嶺監督は満面のウォーリースマイルを浮かべながらも、
「好スタートを切ったと言っても喜んではいられない。勝負は10月よ」
と話していた。
では、またあした。
<次回に続く>
写真=BBM