2020年12月14日、
巨人は
DeNAからFA宣言していた
梶谷隆幸と
井納翔一を獲得。同じリーグのライバルから一挙に2人も獲得したことで、大きな注目を集めた。では、今回の巨人のように、FA選手を「同じ球団から一挙に2人を獲得した例」は、過去何度あるのだろうか?
FAスタート2年目のオフに

1994年オフに西武からダイエーへFA移籍した工藤
FA制度がスタートした1993年から2019年まで、「同じチームから一挙に2人を獲得したケース」はわずかに1例のみだ。
まれに見る珍事が起こったのは1994年。この年は、巨人の
原辰徳や
川相昌弘、
広島の
川口和久、
ヤクルトの
広沢克己など、セパ合わせて14人がFA宣言した。とりわけその人数が多かったのが西武で、
伊東勤や
辻発彦など、主力を含む6人もの選手がFA宣言。このうち4人はチームに残留したが、先発の柱だった
工藤公康、長くチームリーダーを務めた
石毛宏典の2人がそろってダイエーに移籍した。
当時、工藤はチームに残るつもりだったという。しかし、西武フロントは工藤に対して不誠実な対応を繰り返し、これに怒りを覚えた工藤はチームとの決別を選んだのだ。
実は、西武フロントは工藤が裏でダイエーと密約を交わしているのではと疑っていた。西武黄金期を作った一人である
根本陸夫がダイエーの球団専務を務めており、工藤は根本と師弟とも呼べる関係だったからだ。実際は密約などなかったそうだが、西武フロントの疑念が災いして工藤はダイエーへ移籍することとなった。
石毛の場合は「現役へのこだわり」が移籍の要因となった。黄金期を率いた
森祇晶監督が1994年限りで辞任。その後任として有力視されたのは石毛だった。チームも実際に後任監督になるよう打診したが、1994年シーズンの石毛は38歳だったものの、111試合に出場して打率.266と十分に現役でプレーできる体力があった。そのため、石毛は現役続行にこだわり、恩師である根本陸夫のいるダイエーへFA移籍した。

1994年オフには石毛も西武からダイエーへFA移籍を決めた
このような経緯で、FA制度2年目にして、西武の主力2選手がダイエーにFA移籍することになったのだ。
以降、FA市場で同一チームから2人を獲得するケースは今回まで発生しなかった。FA市場で積極的に動く巨人は、これまでに26人もの選手を獲得している。もちろん、この数字は12球団最多。しかし、「同チームから一挙に2人取り」は、これまで1度もなかった。
ストーブリーグが始まる前は、FA権を取得した
山田哲人、
小川泰弘、
石山泰稚のヤクルトの2選手が巨人入りするのではとうわさされていた。現実のものとはならなかったが、同一チームから一挙に3人獲得という、史上まれに見る珍事が起こる可能性があったのだ。
FA市場で、同チームから一挙に2人取りというケースは過去に1度だけ。今回の例も含めるとわずかに2例しかない。来季も順調にいけばDeNAは
山崎康晃と
宮崎敏郎の2人がFA権を取得できる予定。ほかにも、広島は
大瀬良大地、
九里亜蓮など、各チームの主力がFA権の取得が見込まれている。まだ先の話ではあるが、同チームから一挙に2人取りが再び起こるか注目だ。
文=中田ボンベ@dcp 写真=BBM