3年前に創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 金田の指揮官返上をフロントは2度却下

阪神ベンチ。まだ村山に指揮権があった時代か
今回は『1972年6月19日号』。定価は100円。
6月2日、
巨人を破り1日だけだが首位に立った阪神だが、不安材料に挙げられていたのが、二頭政治だ。監督は選手で兼任の
村山実ながら、開幕から2勝6敗の不振で、4月21日の試合前、指揮権を
金田正泰ヘッドコーチに託し、投手専念となっていた。
その後、チーム状態が上向き、5月17日から11連勝で首位に登りつめた。
チーム状態が上向いたことで金田ヘッドはフロントに指揮権返上を二度申し出たというが、いずれも即座に却下された。
金田ヘッドは言う。
「村山監督が指揮を執ったほうがチームの形としては最上だ。投手との二本立ては確かに大変だが、若手投手が調子を上げているし、監督にかかる負担は以前よりは少なくなった。もう大丈夫と思ったんだが」
村山は指揮権問題について、記者に何を聞かれても黙秘。最近ではナインともあまり口をきかなくなったという。
ただ、それで手を抜けるタイプではない。
いざマウンドに上がれば全力投球。5月は先発3試合ながら8試合に登板した。28日の
ヤクルト戦ではダブルヘッダーの2試合にいずれも救援登板してヒジ痛を悪化させ、翌日は手が上がらず、顔も洗えぬほどだったという。
いっさい泣き言は言わなかったが、すでに村山監督の右腕は痛み止め注射の打ち過ぎで黒ずんでいるとも言われていた。
久々の優勝争いに盛り上がり、マスコミも金田コーチの指揮力を高く評価。結果的には村山時代と比較することが増える。
この号では「このあたりに阪神の危険性があると考えられるのだ」と書き、
「ただ、こうしたことはチームの状態が悪くならなければ表面化しないものだ」
とも加えた。
昔の阪神は、なぜか両雄が並び立たない。どうしても周囲を巻き込み派閥ができてしまうからだ。
金田コーチは、
「優勝ラインなんて考えられない。それより、その日その日、つまり1つずつ勝つことが目下のところ必要なことだ」
と表情を引き締めていた。
では、また月曜に。
<次回に続く>
写真=BBM