2年目からは高レベルの注文と「非難」
06年から09年まで楽天で指揮を執った野村監督
名門
ヤンキースから移籍した
田中将大が、8年ぶりに古巣・楽天のユニフォームを着た。海を渡った2014年から6年連続で2ケタ勝利をマーク。本場で輝かしいキャリアを積み上げている現役バリバリのメジャー・リーガーには連日、熱視線が集中している。一回りも二回りも大きくなって戻ってきたエースには、かつて楽天の監督を務めた恩師・
野村克也さんの魂が宿っている。
日本での復帰マウンドは、実に2666日ぶりだった。2月20日、沖縄・金武ベースボールスタジアムで行われた
日本ハムとの練習試合。1回、先頭の
松本剛への初球に選んだのは、野村さんが「投手の原点」と言い続けたアウトローのストレートだった。
一死一、二塁から主砲の
中田翔にスライダーを左翼席に運ばれる3ランを浴びたが、田中は意に介さなかった。2イニングで39球を投げ、最速で148キロを計測。メジャーとは微妙に異なるボールやマウンドの土の感触は、想定していたよりもしっくりきた。「この時期にしては思ったよりもスピードが出たし、球数も投げられた。いい段階を踏めていると思う」。本番に向け、上々の滑り出しだった。
野村さんの一周忌となる2月11日にチームの全体練習に合流。名将からはルーキーイヤーの07年から3年間薫陶を受けたが、今は状況と置かれた立場が違う。田中は「野村監督には、この世界で生きていくための基礎を教えていただいた。最後まで戦い続ける姿勢を見てもらいたい」と、感慨にふけりながらも、新たなステージへの意気込みをにじませた。
たたき込まれたのは、技術だけにはとどまらないエース論だ。「エースとしっかりとした四番打者がいたら、チームは優勝できる」が持論だった名伯楽は、プロ入りしたばかりの18歳当時の田中に、あふれんばかりの才能と、未来の球界を背負う可能性を見た。
プロ1年目、高卒ルーキーとしては日本ハムの
ダルビッシュ有以来となる完封勝利をあげるなど、11勝をマーク。大量失点をしながらも勝利投手となる強運を持つ田中を、野村さんは「マー君、神の子、不思議な子」と言い表した。連敗ストッパーとしてフル回転する姿を、シーズン終盤には「ウチのエース」と称賛。しかし、2年目から一転して、高いレベルの注文と「非難」の嵐を浴びせた。
リーダーにふさわしい前向きな姿勢
今季から楽天に復帰した田中
スピードガン表示に惑わされないよう、打者の手元で伸びる「本物の真っすぐ」を執ように要求。力任せで投げる一本調子の球は、打者の餌食になりやすい。「投手の価値は、コントロールとボールの切れで決まる」と何度も言い聞かせ、柔らかく、バランスのいいフォームの大切さを何度も説いた。
マスコミを巻き込み、選手に手厳しい言葉を容赦なく浴びせる野村さんだったが、球界を代表するエースへと階段を駆け上る田中について褒めたことがある。
「マー君は、いつも『絶対に勝つ』という気持ちで1球1球を投げている。本番だけじゃなく、練習のときもそれが伝わる。キャッチボール一つにしてもその重要性を理解できているから、チームにその意気が伝わる」
アスリートとしての潜在能力以上に、チームリーダーにふさわしい前向きな姿勢を高く買った。
「野球は団体競技」と語る野村さんは、個人の成績以上にチームの勝利を重んじる。痛打されれば悔しさをあらわにし、次はがむしゃらに相手に挑む田中の闘争心に非凡さを感じた。「エースの条件は犠牲的精神に加え、勝利への執念を持っているかどうか。『こいつに任せていれば大丈夫』と信頼される存在になれ」と言い続けた。
東北大震災から10年目。ヤンキースとの再契約を模索する田中のもとには、他のメジャー球団から魅力あるオファーもあった。しかし、復興に向けて歩み続ける東北を本拠地とする古巣への復帰を決断。田中は「自分にとって意味のあるタイミングだと思った。また日本の方々の前で投げられることにワクワクしている」と心境を述べた。節目のシーズンで、最高峰の舞台へ羽ばたかせてくれた古巣へ、そして日本球界へ“恩返し”をしたいという強い気持ちがにじむ。
早大からドラフト1位で入団した
早川隆久ら期待の若手が、成功した現役メジャー・リーガーの一挙手一投足を見守っている。調整方法はもちろん、立ち振る舞いや野球に向ける情熱も貴重な財産となるだろう。「エースはこうあるべき」という生前の野村さんの投げ掛けは、しっかりと田中が受け取っている。その真髄は、時を経て次の世代へ伝承されようとしている。
写真=BBM