ハイレベルな新人王争いを制す

1年目の98年、週刊ベースボールで行った特写
野球ファンの間で話題になっているのが、
川上憲伸の「トーク力」だ。現役時代は寡黙なイメージがあったが、引退後のテレビ出演や自身が立ち上げたYouTubeチャンネルで視聴者が驚くほどのトーク力を展開。穏やかな口調だが話し出すと止まらない。エピソードトークがどんどん飛び出して選手のモノマネなども披露。「川上憲伸があんな陽気な性格の人だとは想像できなかった」とネット上で話題になるほどだ。
川上は徳島商で3年夏に「四番・投手」で甲子園出場。準々決勝・春日部共栄戦で打ち込まれて敗れたが、投打でセンスはピカ一だった。明大進学後もエースとなり、生涯のライバルとなる慶大の天才打者・
高橋由伸と出会う。3年秋に全勝でリーグ優勝を飾るなど、リーグ通算57試合登板、28勝15敗、防御率2.14で「アマ球界屈指の右腕」と評価を高める。明大の先輩・
星野仙一が監督を務める
中日に逆指名によるドラフト1位で1998年、入団する。
1年目の新人王争いは史上稀に見るハイレベルな争いとなった。川上は開幕から先発ローテーションに入り、力強い直球を武器に14勝6敗、リーグ2位の防御率2.57。だが、ほかの新人もすごかった。
巨人に入団した高橋は打率.300、19本塁打、75打点の好成績で、右翼の守備でもリーグ最多タイの12補殺とスター軍団の中でがっちりと定位置をつかむ。また、
阪神・
坪井智哉も
イチローをほうふつさせる振り子打法で安打を量産。2リーグ誕生以後で新人歴代最高打率となる.327をマークした。

激しい争いとなったが新人王を獲得した(左はパ・リーグ新人王の西武・小関竜也)
広島の
小林幹英も中継ぎ、抑えと54試合登板で9勝18セーブの大活躍。記者投票で決まる新人王の行方が注目されたが、川上が111票で高橋が65票、坪井が12票、小林が5票と他の3選手を圧倒。高橋との直接対決で22打数1安打と抑え込んだインパクトが大きかった。「うれしいです。誰が獲ってもおかしくないと思っていました。打者に向かっていく姿がアピールできたのだと思います」と記者会見で満面の笑顔を見せた。
99年以降は8勝、2勝、6勝と勝ち星が伸びなかったが、新球で習得したカットボールが大きな武器となり、川上の代名詞になる。02年は8月1日の巨人戦(東京ドーム)でノーヒットノーランを達成するなど12勝をマーク。
落合博満監督就任1年目の04年は17勝をマークして最多勝、沢村賞を受賞し、チームのリーグ優勝に貢献した。06年も17勝を挙げて2度目の最多勝に輝き、リーグ優勝に貢献。海外FA権を行使して移籍したブレーブスでは09年からの在籍3年間でメジャー通算8勝22敗、防御率4.32と大きく負け越したが、打線の援護に恵まれないことも多く、決して悪い投球内容が続いたわけではなかった。
コミュニケーションを取るのが苦手!?

12年にメジャーから中日に復帰したが思うような成績を残せなかった
12年に中日に復帰したが、たび重なる故障と球団の若返りの方針により15年限りで退団。現役続行を模索したが叶わず、17年3月に現役引退を表明した。NPB通算成績は275試合登板、117勝76敗1セーブ1ホールド、防御率3.24。黄金時代を築いた中日のエースとして立派な数字だ。
現役時代は近寄りがたいイメージだったが、引退後に野球評論家での活動では高いコミュニケーション能力を発揮し、試合中継の解説も評判が良い。実は、過去の週刊ベースボールのインタビューで「僕は人とコミュニケーションを取るのが苦手なんです」と明かしている。
大学生活を送るために上京してきた川上は1年のときに徳島弁を先輩からバカにされ、嘲笑されたことで、「人と話すのが怖くなってしまいました。引きこもりも同然。耐えられなかった。常に徳島のほうばかり向いていました」と極度のホームシックに陥ったという。地元の両親に「帰りたい」と打ち明けたが、「とにかく鍛えられなさい」と説得され、歯を食いしばって乗り越えた。現役時代と現在の姿にギャップを感じる野球ファンは多いが、根が真面目でその仕事に全力投球する真摯な姿勢は変わらない。今後の活躍も楽しみだ。
写真=BBM