「グローバル・スタンダード」に……

暴言を吐いた大豊(左から2人目)に対し、まさに退場を宣告しようとするディミュロ審判
セ・リーグは1997年、審判員の国際化と技術向上を目的に、アメリカAAA級所属のマイケル・ディミュロ審判を1年契約で招聘した。背景には2000年シドニー五輪からプロの参加も認められるなど、時代の変革に伴い、「野球の国際化に向け、審判もグローバル・スタンダード(国際基準)で臨まなくてはならない」とする川島廣守セ・リーグ会長の考えもあった。
だが、この「グローバル・スタンダード」は一朝一夕で日本球界全体に浸透するものではなかった。伝統的に外角には甘いが、内角には厳しいと言われるアメリカのストライクゾーン。これに選手たちの不信感が次第に募っていった。言葉が通じないもどかしさもあった。
5月17日の
阪神対
ヤクルト戦(甲子園)では、タッチプレーの判定を巡り、阪神・
吉田義男監督が「暴言を吐いた」として退場。そして決定的となったのは6月5日の
中日対横浜戦(岐阜長良川)だった。
6回裏、ディミュロ球審の「ストライク」の判定に「何でストライクですか!」と抗議した中日・
大豊泰昭が「暴言」によって退場を宣告された。この処分に激怒した大豊が同球審に詰め寄り、体を小突いた。
星野仙一監督やコーチ陣も一斉にベンチから飛び出してきた。
「身の危険を感じた。もう日本ではやっていけない」
アメリカ野球では絶対服従であるストライク、ボールの判定に抗議を受けた上に“聖域”であるはずの自分の体を小突かれた。止めに入るべき監督、コーチまでもが、自分のところに鬼の形相で押し寄せてきた。これはもう野球ではない……。
試合から4日後、ディミュロ審判の帰国が決定。留意に努めた川島会長は記者会見の席上で「これを大きな教訓として生かしていかなくてはならない」と悲痛な面持ちで語った。
写真=BBM