3年前に創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 親会社の思惑も絡むパ2球団

東映は張本のプレーイングマネジャー説もあった
今回は『1972年10月2日号』。定価は100円。
1972年のペナントレースも終盤戦となっていたが、セ、パともに例年になく監督人事がきな臭くなっていた。
今回はセに続き、パ。こちらはどちらかと言えば、親会社の動きだ。
まず、中村長芳オーナーの下、
大沢啓二監督の長期契約を結んでいた
ロッテだが、あくまでウワサとしながらも、9月14日の新聞に「大沢監督更迭」の記事が載った。
もともと中村オーナーは親会社のロッテとは関係なく、岸信介元首相の秘書官だった。経営不振が続いていた大毎オリオンズの永田雅一オーナーが、旧知の岸に支援者探しを頼み、ロッテ製菓とつながった。
ただし、ロッテの重光武雄社長が球界に興味がなかったことで、永田が大映の経営不振の深刻化で撤退したあと、オーナーになったという流れだった。
しかし、さすがに球団名にロッテがつき、3年目。重光社長も無関心というわけにはいかなくなってきた。元国鉄─
巨人の
金田正一をかわいがっていたこともあり、監督交代説が飛び交い始めたという流れのようだ。
大映・大毎と同じく映画会社が親会社の東映も揺れていた。こちらはシーズン前から大川毅オーナーが「私もすべての経費を入れて2億3000万円以上のお金を田宮にかけている。Aクラスなんか言っておられない。優勝以外ないんだ」と言っていた。
田宮謙次郎監督は、まさに風前の灯火で後任はここでも金田正一、あるいは
張本勲のプレーイングマネジャーかと言われていた。
大川毅オーナーは父親の大川博オーナー生存時は
水原茂元監督との確執もあったりと、イケイケタイプだったが、本業の映画は博の死後、岡田茂が社長になり、自身が率先していたボウリング場経営もうまくいっていなかった。
形的には、岡田が野球を知らないから大川にオーナーを任せた形だが、東映本社自体がドタバタ続きで、監督問題どころか、もはや球団身売りしかないとも言われていた。
では、またあした。
<次回に続く>
写真=BBM