巨人といえば、リーグトップクラスの打線が特徴。「史上最強打線」と称された2004年には及ばずとも、毎シーズン高いチーム打撃成績を残している。では、巨人打線が「貧弱」だったシーズンはあったのだろうか? 過去の成績を振り返ってみた。
本塁打は多いが安打数は少ない

長嶋茂雄が監督復帰した93年、チーム打率はリーグ最低に終わった
今回は、2リーグ制となった1950年以降で、巨人のチーム打撃成績(チーム打率、チーム本塁打、得点)を調べてみた。各項目で、巨人がリーグ最下位だったシーズンは以下のとおり。
●チーム打率最下位:9回
1960年 チーム打率.229
1961年 チーム打率.2265
1964年 チーム打率.235
1975年 チーム打率.236
1980年 チーム打率.243
1993年 チーム打率.238
2005年 チーム打率.260
2006年 チーム打率.251
2015年 チーム打率.243
●チーム本塁打最下位:0回
●チーム得点最下位:1回
1993年 446得点
チーム打率が最下位だったのは過去9回。1950年以降で初めてチーム打率最下位になったのが
水原茂政権最終年に当たる1960年。リーグトップは大阪の.242だったので、巨人のチーム打率.229とはかなりの差があった。本塁打攻勢で勝利を積み重ねたが、打線のつながりが弱いことが災いしたのか最終的に2位となり、リーグ6連覇を逃した。
翌1961年も本塁打は量産するも、安打数は伸びずにチーム打率最下位に沈む。1960年代前半の巨人は長嶋茂雄や
王貞治が奮闘したが、それ以外の選手に安打が出ずに打率が伸び悩むシーズンが多かった。
長嶋が監督に就任した1975年は球団創立以来初の最下位に沈む。打線も沈黙し、最下位になったチーム打率だけでなく本塁打も減少(117本塁打はリーグブービー)。得点力が大きく下がってしまった。1980年も過去の例と同じで、本塁打は出るものの安打は伸びず、3割を超えた打者はひとりもいなかった。
1993年、長嶋が再び監督に就任するも、またもや打線は沈黙。主に三番だった篠塚は3割をマークするが、それ以外の選手は2割台半だった。本塁打も2ケタ到達が原とバーフィールドのみという厳しい状況で、この年はチーム打率だけでなく、巨人史上初めてチーム得点も最下位に終わってしまった。
直近でチーム打率最下位は15年
2000年以降ではチーム打率最下位を3度記録している。2004年にNPB記録となる259本塁打をマークした巨人だが、翌2005年は相変わらず本塁打は出るも、安打は伸び悩むというおなじみの状況に陥ってしまう。結果的に本塁打はリーグトップもチーム打率は.260で最下位。ちぐはぐな野球でリーグ順位も5位と低迷した。翌2006年も打線の調子は変わらず。チームも球団史上初の2年連続Bクラスと散々な結果だった。
直近で巨人のチーム打率が最下位だったのが2015年。規定打席到達選手で3割打者は出ず、本塁打も15本が最多と打線に元気がなかった。この年の巨人は2位でリーグ優勝を逃すが、打線次第では逆転していた可能性もあっただろう。
チーム打率最下位は9度記録しているものの、チーム本塁打最下位は0。安打が出ずに打率が低迷するシーズンでも、他のチームを上回る本塁打を記録しているのだ。巨人といえば空中戦に強いというイメージがあるが、こうして振り返ってみるとあらためて巨人は本塁打が魅力のチームなのだと実感させられる。
チーム打率、本塁打、得点の3項目すべて最下位のシーズンはなかったが、あえて「リーグ最弱だった年」を挙げるとすれば打率と得点が最下位、本塁打数もリーグ4位だった1993年だろう。この年は盗塁も下から2番目の39盗塁で、打てず走れずと散々だった。
現在、リーグ順位2位の巨人は、チーム本塁打17本で2位タイだがチーム打率は.232で下から2番目と、昨年と比べて元気がない。通算10回目のチーム打率最下位はなんとか避けたいところ。リーグ3連覇を果たすためにも、打線の奮起を期待したい。
文=中田ボンベ@dcp 写真=BBM