来日時は観光気分!?

力強いスイングで73、75、76年には30本塁打をマークしたシピン
その男が羽田空港に最初に現れたとき、出迎えた大洋の関係者は言葉を失った。長髪にまるでヒッピーのような派手な服装、それだけならまだいい。なぜか大事そうに、釣り竿とカメラを持っていたからだ。
1970年代、大洋の二塁手として強打、好守を誇った助っ人。長髪にヒゲのワイルドな風貌が特徴で、当時の子ども番組のヒーローから「ライオン丸」のあだ名もあったシピンだ。アメリカでは1年だけパドレスでメジャー経験があるが定着はできず、来日前の71年はハワイの3Aハワイ・アイランダーズでプレーしていた。
日本に来たのはハワイで一緒にプレーし、大洋に入団していたボイヤーの誘いだった。ただ、72年1月に契約も、来日は3月30日までずれ込んだ。新婚の新妻が「日本に行きたくない。行くなら離婚」と騒いだからだ。やっと来たと思ったら、釣り竿だ、カメラだと観光気分。本当にやる気があるのかと、みなが心配した。
それでも実力は本物だった。すぐさま日本の野球にアジャスト。変化球も苦にせず、本来は中距離打者タイプながら、本拠地である川崎球場が狭かったこともあり、毎年30本前後のホームラン、3割前後の打率と安定していた。
さらに光ったのがセカンド守備だ。特に機敏な動きでセカンドベースに入り、ノーステップで一塁へ矢のような送球による併殺プレーは見せ場。一塁の
松原誠は「あいつの球は手が痛くてたまらん」と盛んにこぼしていたほどだ。
わがままだったシピンが比較的、おとなしくしていたのはボイヤーの存在が大きかった。何しろ元ヤンキースの正三塁手で性格も親分肌。来日当初のシピンは、いつもボイヤーのあとをついて回った。

巨人に移籍するとヒゲを剃り落とし、さっぱりした顔になった
78年に巨人移籍。トレードマークのヒゲを剃り落とすと一見、ビジネスマンのような知的な風貌となったが、同年は死球を与えた大洋の
門田富昭、
ヤクルトの
鈴木康二朗に突進し、暴行する騒ぎを起こすなど、大洋時代より“狂暴化”してしまった。80年に75試合の出場に終わると、同年限りで退団している。
写真=BBM