3年前に創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 概ね歓迎ムード

前後期制をうまく生かしたのが南海・野村克也監督だった
今回は『1972年11月27日号』。定価は100円。
11月9日、パ・リーグ理事会で、翌1973年からパでのみで1年2シーズン制を採用することが決まった。
これは4月3日に一度、南海の川勝オーナーが提案したことがあるが、その際は、何となく立ち消えとなった。しかし、西鉄、東映の身売り騒動もあって、パ・リーグの経営危機、要は集客の問題がよりクローズアップされ、リーグ全体で対応せざるを得ない雰囲気になったこともある。
1年2シーズン制はプロ野球公式戦スタートの1937、38年にも採用されたものであり、春季、秋季は大学野球もそうだ。決して目新しいものではない。
1リーグだと、どこかが独走してしまうと、長く消化試合ができてしまうが、前後期なら試合数が少ないからその期間が短い。2度優勝争いが楽しめ、さらにプレーオフもある、などファンを引き付けるメリットが挙げられていた。
各球団の監督、選手もほぼ歓迎ムード。
「グッドアイディアだ。監督はじめ選手にも厳しいものになるが、息が抜けないだけに試合は盛り上がるだろう。コンディションづくりは難しくなるが、お客さんがたくさん来てくれるようになればやる気も出てくる」(南海・野村克也監督)
「反対する余地なんてない。うちなんか持ってこいだ。麻雀に例えれば、長くやれば実力のある人が勝つが、短期ならつきもある」(太平洋・
稲尾和久監督)
デメリットとすれば、プレーオフがある分、レギュラーシーズンを早めに終わらさなければならず、日程が過密になること、前後期の中間地点、集客が見込める7月に休みの期間をつくる必要があること、などが挙げられていた。
では、またあした。
<次回に続く>
写真=BBM