3年前に創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 仲根の近鉄入団は0.1パーセント?

関大・山口。表紙画像は次回記事で
今回は『1972年12月11日号』。定価は120円。
1972年ドラフト会議の最注目は関大のエース、
山口高志だった。
関西六大学46勝、日米大学野球でもアメリカの学生たちを圧倒した超剛速球が武器の右腕。スカウトたちは「今のままでも15勝は固い」と評価。「山口のいるところスカウトあり」と言われながら、ここ2年ほど全球団のスカウトがマークしていた。
本人も一時は「プロで力を試してみたい」と言っていたが、明治神宮大会で優勝を決めたあと、取り囲んだ報道陣に
「プロ野球の人から会いたいと言われたら、お会いします。しかしそれはプロ野球に行くという意味ではなく、失礼にあたるからです。だから二度とお会いすることはないでしょう」
と静かにプロ入り拒否宣言。理由として「体力的に自信がない」と話した。先輩で関大・達摩監督の同期生でもある
村山実監督が
阪神を退団したことの影響もあるのでは、とも言われた。
その後、松下電器から内定をもらった。
結果的に当日の注目はジャンボ仲根こと、日大桜丘高の
仲根正広だったが、4番クジの近鉄が指名権を得た。しかし近鉄のスカウトがドラフト前にあいさつに来た際、「仲根は近鉄は好きな球団ではないんです。セ・リーグなら考えますが」とはっきり断っていただけに強攻指名にヘソを曲げ、「入団の可能性は0.1パーセント」と話していた。当時のパ・リーグのバタバタぶりのマイナスイメージになったらしい。
異色の指名は
中日が3位指名した
谷木恭平。北海高から立大を経て新日鉄室蘭でプレーしていたが、すでに10月に退社。父親がすすきのでやっていた、おでん屋「一平」を継ぐため見習いを始めていた。
「考えてみますよ」
と本人は前向きだった。
驚いたのが
ヤクルトの4位だ。事前に松園オーナーが言っていたとおり、各球団があきらめ、指名を回避していた山口を強攻指名。
「あれだけのスター選手を見逃すことはプロ野球の経営者として大いに責任を感じねばばらない問題だ。万分の一の可能性でもいいから、あえて指名し、説得しようと思ってる」
と松園オーナー。
山口は「どんなに誘われても同じです。僕はもう松下電器に決まっているので」と話していたが、松園オーナーは11月23日、突然大阪に現れると達摩監督、山口を呼び出し、会談。さらには山口の実家に予告なしに押しかけ、「定期券を買ってでも通い詰めますから、なんとか息子さんをわがチームへ」と言い置いた。
それでも山口の意思は変わらず。入団は難しそうだ。
では、また月曜に。
<次回に続く>
写真=BBM