松井秀喜のメジャー生活のハイライトは、2009年のワールド・シリーズだ。この年、現在のヤンキー・スタジアムが開場。前年の08年はア・リーグ東地区3位となり、13年続いていたプレーオフ進出がストップした。松井もヒザの故障に苦しみ、93試合の場に終わり、9月には左ヒザの内視鏡手術を受けている。09年はヤンキースにとって新たなスタートと言うべきシーズンであった。 「M・V・P!」の大歓声の中で

ワールド・シリーズMVPのトロフィーを掲げた松井
開幕前にアレックス・
ロドリゲスが故障で戦列を離れ、4月6日トロフィーを掲げる松井は四番・DHで先発出場し、1号2点本塁打を放った。ヤンキースはシーズン当初こそ出遅れたが、7月20日以降は地区首位を保ち、最終的には2位に8ゲームの差をつけて地区優勝。松井はシーズンを通じてDH専門になった。それはプレーオフでも続くことになる。
プレーオフではまず地区シリーズでツインズと対戦。3勝0敗で勝ち抜いた。松井は3試合で9打数2安打だったが、第1戦の5回、4対2と2点リードの場面でフランシスコ・リリア―ノから2点本塁打を放ってチームに貢献している。
リーグ優勝決定シリーズではエンゼルスと激突だったが、4勝2敗で6年ぶりのワールド・シリーズ進出を果たした。松井は6試合に出場して21打数5安打、0本塁打、3打点。状態はよくなさそうであった。
ところが10月28日のワールド・シリーズ第1戦から第6戦までの1週間、松井は強烈に輝いた。地元の第1、第2戦はDHで先発。第2戦ではペドロ・マルティネスから6回に1対1の均衡を破る本塁打。DH制のない第3戦からの3試合はいずれも代打での登場だったが、第3戦で本塁打、第5戦で左前打と、限られた機会にしっかり結果を出した。
そして迎えた第6戦は最高の舞台になる。マルティネス相手に2回に右越え先制2点本塁打。3回には中前2点適時打。そしてスタンドからの「M・V・P!」の大歓声の中で打席に立ち、左腕J.A.ハップから右中間へ2点二塁打。ワールド・シリーズのタイ記録の1試合6打点を挙げ、日本人選手で初めて、ワールド・シリーズMVPに選出された。
「最高ですね。この日のために1年間頑張ってきたわけですから」と、松井は喜んだ。00年には日本シリーズのMVPに選出されている松井。日米の優勝決定シリーズでMVPに輝いたのだ。
ちなみに筆者はこのときすべての試合を現地で取材していたが、世界一になった第6戦は原稿を終えてヤンキー・スタジアムを出たのが翌朝6時過ぎ。ホテルに帰る地下鉄は朝のラッシュで満員だった。いい思い出である。
『週刊ベースボール』2021年5月3日号(4月21日発売)より
文=樋口浩一 写真=Getty Images