3年前に創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 カネやん語録の数々

キャンプ中の金田監督
今回は『1973年3月5日号』。定価は130円。
ミスターという異名がいつから生まれたのか。
元祖が
阪神・
藤村富美男というのが定説だが、一般化したのは、やはり
巨人・
長嶋茂雄だろう。少なくとも、この73年までの「週べ」では、ほぼ長嶋の代名詞のような扱いだった。
1973年春、新ミスター誕生が話題となったのが、
ロッテの
有藤通世だった。
のちには2000安打も達成する素晴らしい選手なのだが、この時点では打撃タイトルもなく、将来が楽しみな若き強打者の一人だった。
自然発生ではなく、つくり上げた男がいた。
「ワシのような監督がチームの人気者になるようじゃあかん。うちのミスターをつくらにゃ」
と鹿児島キャンプ中、この言葉を繰り返していたロッテの
金田正一監督だ。
この人が、キャンプ中の某日、
「できた! それよ」
と指さしたのが三塁手の有藤だった。
「どうや、全身がバネのような、あの大きな体を見てくれよ。これだけ練習するんだから今シーズンはボカスカ、ホームランを打つで。昨年の打率2割8分なんて考えられん。守備だって長嶋以上や。まるでカモシカのような足をしとるやろ。ダイナミックやで。有藤こそワシが待ち望んでいたミスター・ロッテにぴったりの男や」
金田監督がロッテ人気向上のため、話題づくりで言い出したことは間違いない。ただ、多くの異名のように、一時的とものとなって消えてしまわなかったのは、有藤が長くチームの主軸として活躍したからでもある。
キャンプでのカネやん語録も少々紹介しておく。
「この鹿児島キャンプで何が面白かったってNHKのインタビューや。アナウンサーがオリオンズとしか言わんからワシも意地になってロッテしか言わんかった(企業名はNGだったのだろう)。それも絶対にカットされんよう何度も繰り返してな」
「ワシは巨人と日本シリーズしたくない。やったら巨人の選手がかわいそうや。うちの特攻精神にみんなケガしてしまうんや。それじゃ巨人さん困るやろ。ことしのうちの選手は荒っぽくなるよ」
「(報道陣に向かって)みんなワシと飲みにいこう。みんなが10日かかって口説くところをワシは5分で口説いて見せたる。ワシがなあ、いいやろと言ったら、ほとんどのおなごは嫌とは言わんで」
では、また月曜に。