阪神暗黒時代のエース・藪恵壹が、メジャーでオールド・ルーキーになった。2004年のシーズン終了後、FA。05年1月にアスレチックスと1年、100万ドルで契約。36歳でメジャーの夢をかなえた。「アメリカで野球ができるのが楽しみ。先発でも抑えでも何でもやる」と、うれしそうに話した。 マット・キーオの尽力で
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アスレチックス時代の藪恵壹
選んだ背番号は13。小学生で野球を始めたときの番号だ。原点に戻って渡米したのだ。1987年から90年まで阪神でプレーした
マット・キーオGM補佐の尽力があったという。アスレチックス史上初の日本人選手。
ビリー・ビーンGMは「日本で活躍した選手は、アメリカでも結果を残している。コントロールもいい」と評価していた。
中継ぎとして開幕を迎え、初登板は5試合目のデビルレイズ(現レイズ)戦だった。4回、1対7と大きくリードされて一死満塁。先発バリー・ジトをリリーフした。最初の打者、四番のフリオ・ルーゴに左前打を浴びる。ホルヘ・カントゥは空振り三振。ジョシュ・フェルプスには二塁打を喫したが、一塁走者のルーゴが本塁寸前で憤死して、この回を終えた。5回は二死から連打で一、二塁のピンチを迎えるが無失点。6回は三者凡退で終え、3回2/3を無失点だった。ちなみにデビルレイズの先発は藪と同い年の
野茂英雄。6回1失点で勝利投手になっている。
この後もリードされた2試合で登板して迎えた4月22日のエンゼルス戦。2対3の7回に登板して2回1安打無失点。9回に逆転して4対3で勝ち、初勝利を挙げた。
結局この年は40試合に登板して4勝0敗1セーブ、防御率4.50。シーズン終了後、FAになった。すごいのはこれからだ。06年はロッキーズと契約するも開幕前に退団。6月からメキシカン・リーグでプレーした。翌07年は所属球団なし。ひとりで浪人生活を送った。そして08年。マイナー契約でジャイアンツ入り。スプリングトレーニングで結果を残し、メジャー入りを勝ち取った。3月31日のドジャースとの開幕戦、0対5の7回に3番手で登板。3年ぶりのメジャー復帰を果たした。
この年は60試合で3勝6敗0セーブ、防御率3.57の成績を残した。40歳で09年のスプリングトレーニングに臨むも戦力外通告を受けてマイナー降格。3Aでプレーしたが7月に解雇された。
10年はまた無所属のままアメリカでトレーニングを続け、7月末に
楽天に入団。11試合に登板して0勝0敗0セーブ、防御率4.91。その後現役続行も11年に阪神の投手コーチに就任した。05年以降は、波乱の連続だった。
『週刊ベースボール』2021年6月14日号(6月2日発売)より
文=樋口浩一 写真=Getty Images