「何を投げても打たれる」
「もうダメです。投手をやめてバッティング(打者)に転向しようと思います」
こんな弱音を吐くのはプロ野球選手らしくないと思うかもしれない。だが、無理もなかった。1998年の
ロッテが悪夢の18連敗を喫したことは紹介したばかりだが、たかだか18連敗、期間も1カ月に満たない。このときのロッテなど遠く及ばない28連敗、しかも3シーズンにまたがる729日もの間、投げても投げても勝てなかった左腕がいた。大洋(現在の
DeNA)の権藤正利だ。冒頭の発言は連敗の真っただ中で権藤が漏らしたものだった。
身長177センチながら、体重わずか60キロという細身だったが1年目から先発の一角を確保して15勝、新人王に輝いた権藤に悪夢……いや地獄が始まったのは3年目の55年だった。7月9日の
広島戦(熊谷市営)でリリーフに立ち、3イニングで自責点1ながら敗戦投手となると、閉幕まで16試合で8連敗、3勝21敗でシーズンを終える。チームの低迷もあって、それまでも11連敗はあった権藤だが、翌56年も開幕から4連敗を喫して自己ワーストを更新、6月17日には連続シーズン19連敗のプロ野球記録も更新。勝ち星のないままシーズン13連敗で閉幕する。
その翌57年も開幕から3連敗で連続シーズン24連敗となり、ついに世界記録まで更新してしまった。「何を投げても打たれる」と“登板恐怖症”のようになってきた権藤。自分が投げていない試合ならチームは勝つが、どういうわけか自分が投げると勝てない。味方の貧打と選手にも泣かされた。6月2日の
阪神戦(甲子園)では味方の失策から制球を乱して28連敗。権藤は「あそこに打たせた俺が悪い」と自分を責め、もともと弱かった胃を完全に壊して入院を余儀なくされた。

連敗を脱出して胴上げされた権藤
だが、これが立ち直る契機となった。胃を徹底的に治療して戦列に復帰。黄金時代にあった
巨人と後楽園球場で対戦して、被安打4の完封勝利で、ついに地獄からの“生還”を果たす。優勝したわけでもないのにチームメートから胴上げされた権藤。完敗した巨人ナインも権藤の“生還”を祝福した。奇しくもロッテ“七夕の悲劇”から41年前、7月7日のことだ。
文=犬企画マンホール 写真=BBM