不運な失点が“快挙”の呼び水に
1982年オールスター第2戦で5イニングを投げた大洋・斉藤
いよいよ明日に迫ったオールスター。2年ぶりの開催ということもあり、どんなゲームが展開されるのか楽しみだが、決して超えることができない頂がある。それは1982年の第2戦(
西武)で残されたオールスター史で最初の、そしておそらくは最後となるであろう力投だった。
試合は1回表から先制したセ・リーグにパ・リーグが食らいつく展開。2点差で迎えた6回裏にパ・リーグが1点を返して、1点差に詰め寄る。続く7回表、救援のマウンドに立ったのが大洋(現在の
DeNA)の
斉藤明夫だった。斉藤は77年の新人王で、翌78年から3年連続2ケタ勝利。まだまだ若手だったが、いつしか口ヒゲがトレードマークとなり、82年は低迷する大洋の貴重な(?)勝ちゲームでは、いかつい風貌で終盤のマウンドに仁王立ち、ファンの期待を一身に集めるようになっていた。この球宴で立った救援のマウンドも、第1戦(後楽園)で敗れていたセ・リーグの勝利をもたらすことを期待されてのものだったはずだ。だが、不運な失点で同点とされると、そのまま試合は9回裏を終える。
現在の規定では延長戦はないから、これでゲームセットとなる。また、当時の規定でも現在と同様、投手は3イニングまでしか投げられない。ただ、延長戦は認められており、どういうわけか投手も延長戦であれば3イニングを超えて投げることができた。斉藤は続投。結局、延長11回を終えた時点で時間切れのため引き分けとなったが、斉藤は最後まで投げ切った。斉藤が投げたのは5イニング。セ・リーグは
巨人の
藤田元司監督が指揮を執っていたが、試合を終えた斉藤は大洋の
関根潤三監督から電話で「投げ過ぎだ!」と叱られてしまったという。
これは規定そのものが変わったことで決して再現することができなくなってしまった空前絶後の“快挙”。延長戦は復活する可能性はあっても、ベンチ入りしているスター投手たちをフル稼働させるためにも、投手の3イニング限定は今後も続きそうな気がする。オールスターは、夢の球宴。スター選手の贅沢な(?)起用法も醍醐味のひとつなのだから。
文=犬企画マンホール 写真=BBM