3年前に創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 開幕戦は太平洋のサヨナラ勝ち
今回は『1973年4月30日号』。定価は100円。
シーズン前、日拓ホームフライヤーズの結成お披露目会。政財界、芸能界から1000人以上が集まったが、主役はなぜかロッテ監督・
金田正一だった。
あいさつに立ち、
「私とオーナーの西村さんは古くからの付き合い。弟の留広も日拓さんにお世話になっていることだし、ここで日拓さんに優勝してくださいとは言えないが、まあ前期に日拓さん、後期にうちの優勝といきましょうや」
さらに声を張りあげ、
「西村オーナー、バンザーイ! 日拓、バンザーイ!」で会場も大合唱となったが、
ここでついでとばかり、
「ロッテ、バンザーイ!」
会場も爆笑に包まれながら
「ロッテ、バンザーイ!」
これには日拓の田沢球団代表も「タレント監督はやはり違う」と感心しきりだった。
この年から話題となったロッテ-太平洋の遺恨問題。すでに開幕時から始まっていた。
仕掛け人は、元ロッテのオーナー代行でもある太平洋の中村オーナーと青木専務。開幕戦が平和台でのロッテ戦だったのだが、
「ロッテに球場を貸す時間などない。うちもロッテから球場を借りることはない」
詳しい説明は書いてなかったが、おそらく前日練習の話だろう。
中村に誘われ、ロッテから多くのフロントが太平洋入りをし、この年、ロッテ入りした
ラフィーバーも、もともとは太平洋入りが進んでいたのをロッテが横からさらった形だった。
遺恨は探せばたくさんある。
そして開幕戦はビュ
フォードのサヨナラ本塁打で太平洋が勝利。 金田監督は、
「開幕戦はお祭りや。負けたってどうってことあらへん。65分の1(前期)やないか」
と強がっていた。
では、またあした。
<次回に続く>
写真=BBM