3年前に創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 両監督もノリノリに

太平洋・稲尾監督
今回は『1973年5月7日号』。定価は100円。
号は変わったが、
ロッテ、太平洋遺恨試合の話がもう少し載っていた。
元ロッテのオーナー、中村長芳が太平洋のオーナーになったことで始まった遺恨(というかその仕込み)。そのあと、
ラフィーバーの争奪戦はガチだったようだ。
“遺恨”に乗ったのが、ロッテ・
金田正一監督と太平洋・
稲尾和久監督。互いに気心の知れた大投手同士は、これを楽しみながら盛り上げようと思ったようだ。
まず金田監督が
「開幕来る(きたる)」
と
木樽正明の先発を予告すると、稲尾監督も
「そんならうちも
加藤初で初めを勝とう」
と漫才のようなやり取りで始まった。
試合自体も大盛り上がりで太平洋のビュフォードのサヨナラ弾で決着。これで勢いに乗った太平洋は、翌日のダブルヘッダーは雨で中止となったが、そのあと近鉄に4タテ。平和台の4試合で集まったお客さんが6万5000人。前年が65試合で32万人だから昨年の5分の1を5試合で取り返したことになる。
ちなみに太平洋は集客の仕方もすごかった。
坂井球団社長が開幕前、稲尾監督、コーチ、選手を集め、
「みんなはきょうからセールスマンになれ。プロである以上はグラウンドの上でプレーするだけではダメだ。君たちの生活を支えているものは何か。いかにすればお客さんをもっと呼べるか考えてほしい」
と話し。
実際、年間予約席販売の“ノルマ”を決めた。監督、コーチが8席、福岡在住の妻帯者が4席、独身が2席だ。
ちなみにビュフォードは博多のデパートに出かけ、片言の日本語で女子店員に売りつけたらしい。
では、またあした。
<次回に続く>
写真=BBM