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不穏な雰囲気になったロッテ-太平洋の遺恨試合第1戦/週べ回顧1973年編

 

 3年前に創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。

殺気立つ太平洋ファン


太平洋・基満男。これは春季キャンプ


 今回は『1973年5月21日号』。定価は100円。

 パ・リーグは稲尾太平洋、金田ロッテの“遺恨試合”が話題になっていた(遺恨のきっかけは過去に書いているので略)。開幕したばかりながら、前後期制初年度とあって、より序盤の勝ち負けが注目されていたことも前提として頭に入れてほしい。

 5月1日、川崎球場でのロッテ-太平洋戦。2万5000人が詰めかけ、ロッテのホームゲームではシーズン最多観客数だ(まだ本拠地ではない)。にぎやかだったのが三塁側の太平洋ファン。「がんばれライオンズ、栄光へ突っ走れ」ののぼりが揺らめき、試合開始の1時間前から大騒ぎだった。

 この時点で10勝3敗と太平洋は1位。対して開幕4連敗のロッテも、そこから10連勝。この時点で10勝5敗の2位だった。

 第1戦は太平洋がベテラン・石井茂雄の先発で1対4の敗戦。それでも加藤初東尾修の若き二本柱を温存した稲尾和久監督は涼しい顔だった。

「1つ負けたからと言って騒ぎなさんな。3連戦だから2勝1敗で勝ち越せばいい。打球も野手の正面に飛んだけど、バットはいい音を立てていた。その簡単にシャッポは脱がんよ。きょうはこのぐらいでいいやろ。あしたは長くしゃべるわ」

 勝った金田正一監督は、最初はなぜか神妙な顔で、
「問題は、あしたからの2試合やろな。あすとあさってがほんまの勝負や。でも、いくら強いと言ったって、去年と変わっているわけやない。選手を見てみいな。ノンプロやないの。ビュフォード1人だけや。それだけで、どうしてそんなに変わることができるんかいな」

 ただ、すぐ地が出る。
「客がいなかったらカスみたいなチームや。スタンドの勢いに乗っとるだけや。それにつられてやらにゃいいんだ」

 確かに太平洋のナインは観客に背中を押されていた。例えばバッターは皆、極端なまでにホームベースに近づき、そのたびスタンドがわく。

「観客が騒ぐと、あのムードに乗って打者はいよいよホームプレートにかぶさってくる。だからピッチャーは内角に投げにくくなるんや。が、こんなことに負けたらあかん」

 金田監督は先発の木樽正明に、
「これを怖がってはお前の負けや。死球になっても仕方ないからバシッと内角球で勝負せい。いいな、死球を怖がるんやないで」

 実際、木樽は初回にビュフォード、3回には基満男に死球。基への死球は左わき腹に当たる強烈なもので、しばらく立ち上がれなかった。基自身は、何も言わず、そのあと一塁へ歩いたが、観客、そして太平洋のコーチがエキサイトした。

 金田監督が怒ったのは、そのあとだ。4回、竹之内雅史が一塁ベース通過時、ベースではなく、ラフィーバーの左足をまともに踏みつけたのだ。

 すぐさまベンチを飛び出し、
「いくらベースの真ん中に足があっても隙間がある。お前がそれをやるなら、こっちもやるぞ」
 凄みある一喝に、竹之内も「すみません」と謝った。

「いくらスタンドがエキサイトしても選手がそれに乗ったらあかん。しかもベースも踏まず、一塁手の足を踏むなんて初歩的なミスを犯してはいかん。実にガラが悪い」
 と吐き捨てた。

 このやり取りに太平洋ファンがまた興奮。その後、6回にはロッテの池辺巌がヘルメットに当たる死球を受け、さらに殺気立った。試合終盤、敗色濃厚になると太平洋ファンが次々グラウンドに物を投げ入れる。

 試合後、金田監督は、
「おーい、あしたの試合は機動隊をたくさん呼んでおいてくれよ」
 と渋い顔のまま大きな声で叫んだ。

 翌2日の試合は雨天中止。残るはあと1試合になった。
 
 前日、アップしたつもりがしてませんでした。

 では、また月曜に。

<次回に続く>

写真=BBM
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