3年前に創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 怒り狂う金田正一監督

ロッテ・金田監督(別試合の写真)
今回は『1973年5月21日号』。定価は100円。
稲尾太平洋、金田ロッテの“遺恨試合”第3弾にして、今回はラストバウト(この時点の、だが)。
5月1日からのロッテ-太平洋3連戦(川崎)。まず1戦目は4対1でロッテが勝利し、2戦目は雨で中止。迎えた5月3日が最終戦だった。
観衆は当時のパでは異例だが、3万人と膨れ上がる。しかも大半が太平洋ファンで、試合前から高校野球のように1球1球に声援を送っていた。
しかし、
基満男の5号2ランで太平洋が先制したところまではお祭り騒ぎのようでよかったのだが、ロッテの反撃にあい、逆転されたことで太平洋ファンの雰囲気がおかしくなってきた。
敗色濃厚の21時半ごろ太平洋ファンが、近くにあったものをすべてグラウンドに投げ込み始める。ビン、缶、弁当、落ちていたコンクリートの破片、何もかもだ。
当たったら選手が大ケガをしかねないと、球審は守備についていた太平洋ナインをベンチに引き揚げさせた。そこですぐ太平洋の中村長芳オーナーが放送室に行き、
「試合を続けさせてください。お願いします」
と異例のアナウンス。しかし騒ぎは一向に収まらない。ロッテ・
金田正一監督がベンチを飛び出し、太平洋の
稲尾和久監督に「2人で客をなだめよう」と言ったが、稲尾監督は応じなかった。
いろいろな説はあるが、この時点ではまだ、太平洋は稲尾監督もフロントも観客動員につながる遺恨を盛り上げようとしていたようだ。
しかし、ここまではそれに乗っていた金田監督は「これ以上はヤバイ。いい加減、もうやめや」と思っていたのではないか。この人には、そういう嗅覚のようなものがあったという。
8回に入り、グラウンドの壁際に10数人の警官が並んだが、一度火がついた観客は止まらない。みるみるうちに、グラウンドのあちこちに投げ込まれたゴミの山ができた。
次に守備に就いた際、ロッテは三塁手・
有藤通世とレフトの
江島巧がヘルメットをつけて現れ、しかも有藤は遊撃寄り、江島は中堅寄りに守った。物が飛んできて危なくて仕方ないからだ。
金田監督が本気で怒ったのは、その後だ。太平洋打線ががら空きの三塁線を狙ったバントをした。
「そんなに勝ちたいか。乞食野郎め!」(当時の本誌のまま)
と怒った。
「これが野球ファンかい。ワシの求めていたファンはこんなもんじゃない。もし選手に当たってケガでもしたらどないすんのや」
さらに怒りの矛先は稲尾監督にも向く。
「命を危険にさらしているというのに、その前に2つもバントしよった。恥ずかしいことを知らん。自分のチームを応援しているファンが騒いでいるのに、そのチームの監督がそっぽを向いている。あきれはてた野郎や」
一方の太平洋フロントは「川崎球場の警備はロッテの管轄。われわれに文句を言うのは筋違いだ」と語った。
では、またあした。たくさん、間違えていました。ご指摘ありがとうございます。
<次回に続く>
写真=BBM