
40歳になる1988年、44本塁打、125打点でタイトルを獲得した門田
阪神の
糸井嘉男が、7月31日に40歳の誕生日を迎えた。この日行われた
西武戦(エキシビションマッチ)は代打出場のみだったが、30代最後となった前日は3打数2安打と活躍。40歳を意味する「不惑」の年ではあるが、まだまだ気迫のこもったプレーを見せている。不惑の年に活躍した選手といえば、40歳で打撃二冠王になり、「不惑の大砲」と呼ばれた
門田博光が有名。では、それ以外に40歳を超えてプレーした選手は、「不惑を迎えた年」にどのような成績を残したのだろうか?
最長実働年数を誇る3人は「不惑の年」に苦しむ
実働年数のNPB記録は29年。工藤公康、
山本昌、
中嶋聡の3人が記録した。まずは工藤。40歳になる2003年は、巨人加入4年目で、リーグトップの2完封を記録するものの、ケガに苦しみ7勝6敗、防御率4.23と思うような成績が残せなかった。しかし、翌2004年は10勝7敗と4年ぶりに2ケタ勝利を記録。40代になっても好投を続けた。
工藤と同じ左投手の山本昌は、40歳になる2005年は不振に陥り7勝8敗。前年13勝と好調だっただけに、不満の残る1年となった。中嶋が40歳だったのは2009年。この年は新戦力の勢いに押されて出場数が激減し、わずか3試合の出場に終わっている。こうして振り返ると、3人とも40歳になる年は不振や出場機会に恵まれないなど、苦しい1年を送った。
40歳を迎えても変わらぬ活躍を見せた選手も
工藤、山本、中島に次ぐ実働年数なのが谷繁元信だ。通算3021試合という金字塔を打ち立てた選手で実働期間は27年だった。谷繁が不惑を迎えたのは2010年で、110試合に出場して打率.244、7本塁打を記録。捕手としてチームの優勝にも大きく貢献した。通算2500試合出場の節目を迎えたのもこの年だ。
実働25年では
三浦大輔と
山崎武司が並んでいる。三浦は不惑を迎えた2013年(12月生まれのためにシーズン中に40歳にはならず)もチームの柱として27試合に登板。9勝13敗と負け越すが、球団最年長完封記録を更新し、変わらぬ活躍を見せた。山崎は2007年に最多本塁打、最多打点の二冠を達成。40歳になる2008年はタイトルに届きこそしなかったが、26本塁打、80打点とチーム最多の数字を残した。翌2009年も39本塁打マーク。不惑を超えてなお活躍した選手だ。
球史に名を残す名選手の不惑は?
歴代通算記録の上位に名を連ねる「レジェンド」の不惑は、どんな1年だったのだろうか? まずは戦後初の三冠王であり、監督としても多大な功績を残した野村克也だ。不惑を迎え1975年は南海の選手兼監督6年目のシーズン。チームは5位に沈むが、個人では28本塁打と前年の12本を大きく上回るなど、40歳になっても変わらぬ打棒を発揮した。
また、歴代最多の3085安打を放った
張本勲は、40歳になる1980年に巨人から
ロッテに移籍。5月にはNPB初となる通算3000安打に到達し、シーズン終盤には通算500号本塁打も記録するなど、不惑とは思えない活躍を見せた。
40歳の年にとんでもない数字を残した選手といえば、通算868本という不滅の記録を残した
王貞治がいる。40歳を迎えた1980年は王が引退した年でもあるが、この年は129試合に出場して105安打、30本塁打、84打点。引退する年とは思えない成績を残しているのだ。まだまだ現役を続けられそうな数字だが、王は年齢による衰えを実感しており、持ち前のバッティングができなくなったことで引退を決意。たらればになるが、もし現役を続けていれば、前人未踏の1000本塁打も夢ではなかったかもしれない。
今季は1981年生まれの以下の7選手が不惑を迎えた(る)。
和田毅(
ソフトバンク)
デニス・サファテ(ソフトバンク)
鶴岡慎也(
日本ハム)
藤井淳志(中日)
鳥谷敬(ロッテ)
糸井嘉男(阪神)
高谷裕亮(ソフトバンク)
40歳ともなると、これまでのようなプレーはできなくなるが、体力を維持する努力と培った経験でカバーしている選手も多い。今シーズンは阪神の
佐藤輝明をはじめ、勢いのある若手の活躍が目立つが、後半戦は不惑を迎えたベテラン勢の奮闘に期待したい。
文=中田ボンベ@dcp 写真=BBM