市原監督の指導力

二松学舎大付の左腕・秋山正雲(3年)は甲子園初登板で完封。集中力あるマウンドさばきが目立った
■8月20日 2回戦
二松学舎大付2-0西日本短大付
二松学舎大付(東東京)の左腕・秋山正雲(3年)は西日本短大付(福岡)との2回戦(8月20日)で4安打完封(2対0)した。自己最速にあと2キロに迫る最速144キロで、139球を投げ、4安打、9奪三振と相手打線を圧倒する投球内容だった。
本来は13日に初戦が組まれていたが、順延に次ぐ順延で1週間後、ようやく迎えた甲子園初マウンドだった。この日は1試合を通じて悪天候。難しい条件だったにもかかわらず、なぜ、シャットアウトできたのか。
まず、根底には母校・二松学舎大付を率いる市原勝人監督の指導力にある。1982年春のセンバツ準優勝左腕は、投手育成に長けている。大阪入りしてから約2週間。一つ間違えば、集中力が切れてもおかしくはなかった。だが、投手心理を理解しており、しっかり、秋山の気持ちをコントロールしてきた。
「自分たちの力では、どうにもならない。しっかり受け入れ、最大限、できる準備をする。選手たちはどうしても、中だるみすることもあるが毎日、切り替えてやってくれた」
技術的な高さには内・外角、高低と、ストライクゾーンの四隅を使える制球力にある。変化球を織り混ぜて打たせる投球術、三振が欲しい場面では、強気な真っすぐでのインコース攻め。意図的に投げたハイボールを、振らせる十分な球威もあった。
そして、目的意識が明確である。東京五輪では、同校先輩で日本代表の四番・
鈴木誠也(
広島)が金メダルを獲得。秋山は先輩の活躍に刺激を受け「今度は、自分たちが甲子園で優勝する」と意気込む。厳しいスケジュール、この試合も雨が降り続け、マウンドもぬかるんでいたが、精神面はブレなかった。
150キロ左腕との投げ合いを熱望
ただ、課題も出た。初戦を前にして、秋山は「1週間500球以内」の球数制限を想定してこう、展望を語っていた。
「いかに打たせていけるか。ボール球を減らして、ベース板の中で勝負しながら、低めにボールを集めてゴロを打たせていこう、と」
この日は4四死球にまとめたが、139球とやや多かった。日程上は2回戦から準々決勝までが1週間以内であり、あと2試合で361球を投げられる。ただ、決勝(29日)を見据えた場合は、24日の3回戦以降の球数が「対象」となってくる。6日間で4試合を勝ち上がるには、3回戦以降は、少しでも球数を抑えていきたいところではある。
昨秋の段階からNPBスカウトは秋山の実戦派の投球スタイルに、熱視線を注いできた。集大成の夏に、きっちり照準を合わせてきたのは好材料。激戦区・福岡の代表校を完封したわけであるから、評価を高めたのは言うまでもない。秋山が対戦を熱望している投手は、大阪桐蔭の150キロ左腕・
松浦慶斗(3年)。組み合わせ上、両校は準決勝まで顔を合わせることはない。まずは、目の前の一戦一戦に、全神経を研ぎ澄ますだけである。
文=岡本朋祐 写真=高原由佳