宿題よりも大事なことがある!?

ハンク・アーロンに並ぶ755本塁打のホームランボールを手にする王
その昔は今日、8月31日が学生にとって夏休みの最終日だったと思う。言い換えれば、宿題の締め切り日だった。長い夏休みの間、ひたすら足踏みを続けて、最後の最後で一気に(適当に)終わらせたという向きも少なくないはずだ。そんな凡百の我らとは月とスッポン。1977年の、ちょうど夏休みの期間中に、世界の頂点に立とうとしていた男がいた。
巨人の
王貞治だ。
ハンク・アーロン(ブレーブスほか)がメジャーで残した通算755本塁打という世界の頂に、プロ19年目を迎えた王が迫りつつあったのだ。夏休みということもあり、王の自宅には連日、取材陣だけでなく、野球少年たちが王のサインを求めて長蛇の列を作っていた。世の中には宿題なんかよりも大事なことがあるのだ(?)。王は連日、サインにも取材にも快く応じていたという。
8月12日に通算749号を放った王は、そこから雨天中止などもあって10日間の足踏みもあったが、23日に節目の750号を放つと、翌24日には2試合連続アーチ、その翌25日には1試合2本塁打と急加速。28日にも一発を放って通算754本塁打とする。この動きに政府も呼応して、数日のうちに単独で世界の頂点に立つであろう王を称えるべく、国民栄誉賞が新設されることに。ファンだけでなく、政府までもが王の快挙を待ち構えていたのだ。
王だけでなく、対戦する投手たちにも重圧がかかっていたことは想像に難くない。29日の
ヤクルト戦(神宮)は“王キラー”で左腕の
安田猛に軍配、翌30日は本拠地の後楽園球場へ移り、舞台も整ったように見えたが、大洋(現在の
DeNA)の新人で右腕の斉藤明雄(のち明夫)が快投を見せてプロ初完封。もちろん、王の本塁打はない。そして迎えた31日の同カード。大洋の先発は左腕の
三浦道男だった。
1回裏、王の第1打席。三浦の投球がボールになると、超満員のスタンドから三浦にブーイングが容赦なく浴びせられる。そんな中で三浦が投じた5球目、低めへのカーブを、王のバットが完璧にとらえた。通算755号。王が世界の頂点に並んだ瞬間だった。王が前人未到の領域を歩き始めるのは、その3日後のことだ。
文=犬企画マンホール 写真=BBM