男気、黒田博樹投手の登場である。筆者が黒田を初めて見たのは1996年、専大4年生のときだった。この年から神宮球場で大学野球でも球速掲示が行われるようになって、最初に150キロをたたき出したのが彼だったと記憶している。そのときは「力のある投手だな」と驚いたものだが、まさか日米20年間のプロ生活を送ることになるとは想像できなかった。 厳しい内角攻めを貫く

ドジャース時代の黒田
引退直後に顔を合わせたことがあって、「正直なところ、これほど長い間プレーできるとは思いませんでした」と言うと苦笑いを浮かべたあと、「大変でした。精いっぱいやりました」と話していた。
広島時代の黒田を見る機会はなく、プロ選手になった彼を見たのはメジャー・リーガーになってから。広島をFAになり、ドジャースと3年総額3530万ドルという大型契約を結ぶ超一流の投手になっていた。
入団1年目の2008年はジョー・トーリ新監督を迎えたシーズン。黒田は先発陣のひとりとして大きな期待を受けていた。デビュー戦は4月8日のパドレス戦。開幕から4試合目で、現
ロッテ監督の
井口資仁が二番を打っていた。
黒田は5回まで無失点と快調。6回にブライアン・ジャイルズに同点本塁打を浴びるも、直後の7回にドジャースは一挙6点と爆発。結局、黒田は7回を1失点で、初登板を白星で飾った。「いい結果が出てよかった。これで少しでもチームに入っていけた」と、責任感の強い黒田はほっとしたように話したものだ。
その後8試合、白星に恵まれなかったが5月21日のレッズ戦、8回2失点で2勝目を手にした。
斎藤隆が9回を締めくくり、日本人投手が先発勝利&セーブを記録した。7月7日のブレーブス戦では8回、先頭のマーク・テシェイラにスライダーを右翼線二塁打されて大記録は達成できなかったものの、この走者ひとりだけで完封勝ちを収めた。試合後、完全試合を逸したことを「惜しかった」と悔しがった報道陣に対し「確かに残念ですが、メジャーで1安打完封もすごいと思いますけど」とこの記録への誇りを示したものだ。
1年目は9勝10敗。防御率3.73と投球内容は評価できるものだった。チームは2年ぶりにプレーオフ進出。リーグ優勝決定シリーズまで進んだ。黒田はカブスとの地区シリーズ、フィリーズとのリーグ優勝決定シリーズに1試合ずつ登板し2勝無敗と勝負強さを見せた。メジャーでも打者の内角を厳しく突く、強気なピッチングは変わらなかった。
『週刊ベースボール』2021年9月20日号(9月8日発売)より
文=樋口浩一 写真=Getty Images