楽天から初めてメジャーに移ったのが福盛和男投手である。FAとなって2007年12月レンジャーズと2年契約を交わした。横浜で9年、近鉄で1年、楽天で3年プレーし、通算34勝42敗72セーブ。31歳になっていた。その07年は7月末にチームを離脱し、右ヒジの遊離軟骨除去手術を受けシーズン終了。故障明けでメジャーに挑戦する格好になった。 GMは期待を口にしたが……

レンジャーズ時代の福盛
レンジャーズは救援投手を必要としていた。2007年のシーズン中にクローザーのエリック・ガニエをレッドソックスに放出した。
大塚晶則が右ヒジを痛めてチームを離れ、そのまま退団に至っていた。リリーフ陣の再整備に着手するところであった。ジョン・
ダニエルズGMは「カズ(福盛)はレンジャーズのブルペンの力になれる可能性を持った投手だ。ここアメリカで自身の力を証明しようと、やる気になっている」と期待を口にしていた。
スプリングトレーニングでは8試合10回を投げて自責点ゼロ。右ヒジの不安もなく、速球とフォークを武器に好成績を残して首脳陣を安心させた。ところがレギュラーシーズンは甘くなかった。デビュー戦でいきなり強烈な洗礼を浴びた。
3月31日、マリナーズ相手の開幕戦。1対2の7回裏に二番手で登板した。リードされた場面とはいえ接戦の終盤。大事な場面で起用されたのだ。先頭のホセ・ビドロを打ち取るが、続く
城島健司を歩かせる。
ユニエスキー・ベタンコート(のちに
オリックス)には右前打を喫した。ここで打者
イチロー。暴投で二、三塁となるとイチローを敬遠する。
満塁となって
ホセ・ロペス(元
DeNAほか)。またも暴投で城島が生還する。ロペスに二塁打を浴びてベタンコートとイチローがかえり、ここで降板した。1/3イニングで2安打2四球3失点と大荒れだった。
4月4日のエンゼルス戦では1回を無失点に抑えるが、4月11日のブルージェイズ戦では1/3イニングで4安打3失点。直後に3Aオクラホマシティーに降格した。再昇格して4月24日のタイガース戦に登板するも2回1/3で5安打3失点。またもオクラホマシティーに降格し、5月にはメジャー契約を解除されてしまった。シーズン後には椎間板ヘルニアの手術を受けた。
09年は一度もメジャーに昇格することなく6月に退団。2年間の契約期間を満了できず、楽天に復帰した。結局メジャーでは4試合で4回9失点(自責点9)、防御率20.25。勝敗、セーブともゼロだった。現実は厳しかった。
『週刊ベースボール』2021年10月11日号(9月29日発売)より
文=樋口浩一 写真=Getty Images