完全に定着した“ID野球”
92年、14年ぶりのリーグ優勝を果たし胴上げされるヤクルト・野村監督
序盤から好調で歓喜の予感に沸いた
阪神と、それを追いかけていた
巨人。でも最後の最後で優勝から遠ざかっていたヤクルトが……。この構図は、この2021年のものでもあり、ひと昔前、1992年のものでもある。阪神の長いファンにとってもインパクトを残すシーズンだろうが、同じくヤクルトのファンにとっても、忘れられない1年だったはずだ。
1985年のリーグ優勝、日本一を最後に低迷が続き、当時のV戦士たちの多くが姿を消して、猛虎どころか“ダメ虎”とさえ揶揄されていた阪神では、
新庄剛志、
亀山努ら若手が台頭。新たな時代の幕開けすら感じさせた。一方で、ヤクルトは
野村克也監督が就任して3年目。いまでこそ“ID野球”が開花したシーズンと評価されるが、まだ当時は“ID野球”という言葉も完全には定着していなかったような覚えがある。
就任1年目は5位、2年目は11年ぶりAクラスとなる3位と、確かに順位は上がっていたとはいえ、優勝はしていない監督が掲げたというだけの、それまで他では聞いたことのない戦略に過ぎなかった。しかも、92年の序盤は何度か首位に立ったものの、先発として計算できる投手が
岡林洋一と
西村龍次だけと戦力も手薄。そこに故障で離脱していた
高野光、
伊東昭光らベテランが復活を遂げたことで、前半戦を3位で折り返す。
後半戦に入ると、最終的には38本塁打、打率.331で本塁打王、首位打者の打撃2冠、MVPに輝くハウエルのバットがチームを引っ張って首位に。9月の9連敗で3位にまで転落も、長く離脱していた
荒木大輔の復活劇で、ふたたびチームは活気づいた。そして最後は10月10日、敵地で阪神を下して14年ぶりのリーグ優勝。2021年との違いはギリギリまで巨人が食い下がっていたことで、10月に入っても阪神、巨人、ヤクルトの上位3チームが1ゲームの中にいる混戦だったが、阪神と巨人は同率2位で閉幕を迎えた。
このときヤクルト黄金時代の幕が開けたことを、まだ誰も知る由もなかった時期だ。野村監督から「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」名言が飛び出したシーズンでもあった。
文=犬企画マンホール 写真=BBM