3年前に創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。バックナンバーを抜粋し、紹介する連載を時々掲載しています。 エモやんとカネやんのやり取りがいい

南海・江本
今回は『1973年7月9日号』。定価は120円。
前回に続き、前期の天王山となった6月19日から大阪球場の南海-
ロッテ3連戦から。
ロッテの先勝のあとの20日の第2戦はロッテ・
木樽正明、南海・
西岡三四郎の先発だった。観客は3万200人の満員、記者席も満員だ。
当時はスパイ行為も堂々。ロッテのスコアラーは記者席後方に陣取り、1回ごとにメモをベンチに届けていた。また、南海はバッティング投手の西村がいて、こちらはイニングの合間のたびにベンチに行き、投手の球筋を報告していた。
ただ、選手たちはそこまでピリピリしていたわけじゃない。先発投手に関しては、こんなやり取りがあったという。
ロッテは、この日にエースの木樽先発の予定ではなかった。それは南海先発を
江本孟紀と見ていたからだ。
「きょうは江本だろう。江本だったら3点以上は無理だろう」
と
金田正一監督。要は2戦目を捨てゲームにし、3戦目に懸けるつもりでいた。
ところが試合前、金田監督は信じられぬ光景を見る。球場の食堂に江本が現れ、サンドイッチをぱくついていたのだ。当時、先発投手の試合前の食事はタブーだった。その姿を見た金田監督は、ささっと近づき、江本の隣の席に座ると、
「おい、先発投手がそんなに食ってはダメやないか」
と探りを入れた。聞くほうも聞くほうだが、エモやんも素直だ。
「え? 先発は僕やないですよ。本当ですよ。あるとしたら後半やないですか。ウソじゃないですよ」
と答えた。
実際、先発は西岡、カネやんは江本の話を信じ、急きょ木樽を先発投入したが、野球は簡単じゃない。試合は敗れた。
カネやんは南海が第1戦を
山内新一で落としたことで、先発ローテでは3戦目予定のはずの江本を前倒しして使うだろうと予想したのだが、
野村克也監督は
「ピッチャーにはできるだけ長い野球生活を送らせたい。そのために無理をさせたらあかん」
とローテを崩さず、西岡を投げさせた。
しかし、その江本をつぎ込んだ第3戦はロッテの勝利。先発投手の予想も大した意味はないということか。結局、ロッテの2勝1敗の勝ち越しで終わった。
大賑わいの大阪球場には、肌もあらわな“こいさん”と“いとさん”の乱舞とあったと書いてあったが、説明がなかった。
金田監督も大サービスで、投手交代の合間には自らピッチングをしたりした。
「カネさんは過去の監督のイメージに当てはまらないタイプの監督や。そのタレント性で、これまで人気のなかったパ・リーグに旋風を巻き起こし、人気を呼んでくれた。それに人間管理や統率力で、わしにはないもんを持っている」
と野村監督は金田監督を絶賛。
ただし周囲はこう言っていた。
「ノムさんは、相手を油断させるために言っとるだけや」
では、また。
<次回に続く>
写真=BBM