ケンカのキャリアハイ?

左から東映・大杉、南海・野村、東映・張本の3ショット
80年を超えるプロ野球の歴史を真っすぐにさかのぼるとき、「誰が最速の投手か」「誰が最強の打者か」などが話題に挙がってくることもあるだろう。速球の凄味は球速だけではなく、打撃でも本塁打などの長打だけでなく安定感や勝負強さなどの多彩な要素があって、なかなか1人に絞り込めるものではない。
一方、真っすぐではなく斜めから(?)振り返ると、ときどき登場するのが「誰がケンカ最強か」という話題ではないか。試合の混乱から乱闘が勃発することもあるプロ野球。そもそもプロ野球はケンカをする場所ではなく、ケンカにもさまざまな尺度が存在しそうだが、これが不思議と、いつも「最強」の男は1人に絞られる。
大杉勝男。腕っぷしだけではなく、1965年に東映(現在の
日本ハム)でデビュー、84年に
ヤクルトでフィナーレを迎えるまでの19年間で、通算2228安打、486本塁打を残したスラッガーでもある。
とはいえ、今日はケンカの話。東映は一時的に本拠地としていた球場にちなんで“駒沢の暴れん坊”の異名を取ったチームで、筆頭格の
張本勲や、同じパ・リーグの南海(現在の
ソフトバンク)で攻守の中心にいた
野村克也も警戒していたという大杉の腕っぷし。キャリアハイ(?)が70年だ。西鉄(現在の
西武)との一戦で、一塁を守っていた大杉。タッチアップで二塁から三塁へ向かうも、二塁へと引き返した助っ人のボレスと、その二塁へベースカバーに入った大杉が衝突してしまう。このクロスプレーが押し問答に発展。さらにエスカレートして、ボレスのパンチが大杉の頬をかすった。その瞬間だ。殴りかかったほうのボレスが口から血を流してグラウンドに崩れ落ちる。
このとき審判が見たのは、前述したような光景だったことになっている。もちろんボレスの身に突如として異変が起きたわけではない。大杉がボレスに右ストレートを見舞っていたのだ。ただ、大杉は退場にならず。大杉のパンチが速すぎて、球速150キロにもなる投球の判定もできる審判には見えなかったのだとか。立ち上がったボレスも、爽やかに大杉と握手。一件落着のスピードも速かった。
文=犬企画マンホール 写真=BBM