阪急、初の頂点
その昔、日本シリーズはデーゲームが一般的だった。日本一が決まる最終決戦が平日に当たってしまってもデーゲームだったから、テレビ中継されていたにもかかわらず、さすがに仕事や学校を休むわけにいかず悔しい思いをした向きも多かったはずだ。ただ、筆者が小学生のとき、教室のテレビで日本シリーズを見た覚えがある。おおらかな時代でもあったが、プロ野球が娯楽の中心にあったからこその光景でもあっただろう。
そんなデーゲームの日本シリーズで、摩訶不思議な現象(?)が起きたのが、1975年の日本シリーズだった。激突したのは創設から四半世紀を経て初めてセ・リーグを制した
広島と、黄金期にありながら頂点には届かずにいた阪急(現在の
オリックス)。阪急が本拠地の西宮球場に広島を迎え撃った第1戦、8回表のマウンドには阪急の山口高志が立ったのだが、その投球が“消えた”のだ。山口はプロ1年目ながら豪快なフォームからの渾身の剛速球でリーグ優勝に貢献した剛腕。だからといって漫画のように“消える魔球”が投げられるはずもない。もちろん、実際に“消えた”のではなく、“見えなくなった”のだった。
これは本拠地の“地の利”によるもの。「西宮球場は夕方になると影がグラウンドにさしてボールが見えづらくなるんです。山口の速さなら球が消えるように見えるだろうな、って。それで(夕方になる)終盤に山口を使おうと決めました」と、阪急の
上田利治監督は語る。山口にマウンドを託したのが技巧派サブマリンの
足立光宏だったこともプラスにはたらき、球速の差に西宮球場の特徴が加わって、山口の投球が“消えた”のだった。

75年、広島との日本シリーズでMVPに輝いた山口
初のリーグ優勝を達成して“燃え尽き症候群”のようになっていた広島ナインは「速すぎる。見えない」と脱帽。ただ、この試合は阪急も広島2番手の
金城基泰を打ち崩せず、延長11回、引き分けに終わっている。ちなみに日本シリーズは4勝2分で阪急が初の日本一。1勝2セーブの山口がMVPに輝いている。
日が傾き、影の濃くなる夕方は交通事故も多い時間帯でもある。ドライバーの皆さんは早めのライト点灯を。
文=犬企画マンホール 写真=BBM