3年前に創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。バックナンバーを抜粋し、紹介する連載を時々掲載しています。 荒川堯の視力が悪化
今回は『1973年9月3日号』。定価は100円。
三原
ヤクルトが揺れていた。
開幕から打撃不振のため成績低迷。
三原脩監督の義理の息子であり、次期監督とも言われていた
中西太ヘッドコーチへの風当たりが激しくなった。5月半ばに入り、成績は徐々に良化したが、7月になって元
巨人コーチでもあり、
王貞治の師匠でもある
荒川博がテコ入れのため、コーチに就任。おそらくは三原体制に対する松園オーナーの不満もあったのではないか。
ただ、この年のセは大混戦が続き、ヤクルトは8月16日現在で4位ながら首位までのゲーム差は4。まだ優勝の可能性もあった。
8月8日、2つの異変が起こる。
荒川の義理の息子でもある堯の左目の状態が悪化。視力が0.06まで低下した。原因は外傷らしいと診断されたが、早大時代の死球か入団前暴漢に襲われたものかは定かではないという。
荒川博は、「せっかく調子が上がっていたのに。まったく嫌になっちゃう」と表情を曇らせた。
さらに、この日、お騒がせ外国人
ペピトーンの再来日。離婚問題のこじれを理由に7月6日に帰国し、「2週間で必ず戻ってくる」と言っていたのが1カ月になっていたが、ようやく帰ってきた。
11日からの
阪神戦のため西京極の試合から合流したのだが、試合前、突然「スパイクを忘れた」。これには、これまでペピトーンの奇行をかばっていた三原脩監督も激怒し、罰金3万円を命じた。
ペピトーンは、「罰金は払うが、自分で用具を持ち歩く日本のシステムに慣れていないんだ」と話していた。
さらにはその3日後、「手にマメができた。痛くてバットを振れない。休ませてくれ」ときた。
「来日の遅れを取り戻すために急に練習をし過ぎた。だから滅多にできないマメが右手にできた」
という。その前に、
「アメリカにいるときは1日置きに街のバッティングセンターで打ち込みをした。コンディションはまずまずだ」
と言っていたのに、である。わがままでも結果が出ていればいいのだが、8月16日現在で10打数1安打。
いやはやなんとも。
ちなみにヤクルトの選手間では、
「あいつはペピトーンじゃない。ポップコーンだ」
という声もあったが、分かるようでわからない。
では、また。
<次回に続く>
写真=BBM