通算13発のグランドスラム

プロ3年目、83年の巨人・駒田
通算満塁本塁打でも、シーズン満塁本塁打でも、上には上がいる。ただ、誰よりも“満塁男”の異名が似合うのは、巨人と横浜(現在の
DeNA)で通算2000安打に到達した
駒田徳広ではないか。通算195本塁打のうち満塁弾は13発、15本に1本はグランドスラムというのは白眉だろう。
そもそも、一軍の初打席を満塁の場面で迎えるだけでも稀有なこと。巨人でプロのキャリアをスタートさせて3年目、1983年の開幕2試合目のことだ。試合の相手が、のちに所属することになる横浜の起源でもある大洋。マウンドには
右田一彦がいた。その前年のファームで7本塁打を放っていた駒田だが、そのうち3発は右田からのものと得意としていたとはいえ、いきなり満塁弾を放つのだから振るっている。
「ストライクが来たら打つ。それしか考えていなかった」と言う駒田は、打球の行方を見ずに一塁へ全力疾走。前を走る
淡口憲治に制止されて初めて自分の初打席満塁弾に気づいたというから、初々しさも垣間見える快挙だった。最終的には巨人で5発、横浜で8発のグランドスラム。それだけではない。通算では953打点、打率.289を残した駒田だが、満塁の場面では200打点、打率.332を残す。満塁の場面で打てば打点は稼ぎやすいものの、打率は突出した数字だ。

一軍初打席で満塁弾を放った駒田
ただ、駒田の満塁との縁は初打席満塁弾からではない。投手としてプロ入りした駒田だが、桜井商高3年の春、奈良県大会の決勝は“満塁まみれ”だった。打者として満塁の場面で打席に立って敬遠されたのを皮切りに、投げては満塁の場面から押し出しを続けた末に満塁弾を浴び、さらには1点差に迫る満塁弾を放った。だが、投げては乱調が続いて、計13四死球を与え、2ケタ失点で敗れている。
最終的には20年にわたるプロのキャリアをまっとうした駒田は、「もっとも印象に残るのはプロ初打席満塁弾」だと言う。確かに、それはそうかもしれない。とはいえ、巨人では89年の近鉄との日本シリーズでMVPに輝き、優勝とは無縁だった横浜では38年ぶりのリーグ制覇、日本一に貢献するなど、多くの名場面をファンは目撃してきたのだが……。
文=犬企画マンホール 写真=BBM