シーズン無安打で迎えた引退試合で

豪快な打撃が魅力だった田代。あだ名は“オバQ”
1980年代の
巨人から、初打席グランドスラムの
駒田徳広、日本シリーズでの“引退試合”で代打アーチを架けた
中畑清を立て続けに紹介してきた。中畑は次の打席にも立っているから最終打席ではなかったが、これから一軍で頑張っていこうという選手が初打席で満塁本塁打を放つのも、いよいよ現役を引退しようという選手が最後の試合で劇的な本塁打を放つのも、ともに快挙といえるだろう。
この駒田と中畑を足して2で割って向きを逆にした(?)のが大洋(現在の
DeNA)の
田代富雄だった。駒田は“満塁男”、中畑は口癖から“絶好調男”と、なんとも分かりやすい異名があったが、田代は異名というか愛称が“オバQ”。由来は諸説あり、田代も「僕も本当のところは知らないんです」と首をかしげる。そのキャラクターで人気があったことだけは間違いない。
三振か、本塁打か。とにかく豪快なスイングが持ち味。連勝したかと思えば、それ以上に連敗してしまうような、あぶなっかしい大洋というチームを象徴するようでもあった。プロ5年目の77年に35本塁打、80年には自己最多の36本塁打。「自分でホームラン打者とは一度も思わなかった」という田代だが、ファンの印象は完全にホームラン打者。田代が打席に入ればファンは本塁打を待ち望み、田代も期待に応えることはあったものの、本塁打よりも豪快な(?)三振に倒れることも少なくなかった。だが、86年に左手首を骨折してからは精彩を欠く。

引退試合で満塁弾を放った
91年10月10日の
阪神戦ダブルヘッダー第2試合(横浜)が引退試合に。奇跡が起きたのは、その第2打席だった。場面は二死満塁。このシーズン、本塁打どころか1安打すらなかった田代は、豪快な三振で三者残塁となっても、田代らしいラストシーンだったはずだ。だが、田代の打球は左翼席へ。シーズン初安打、そしてキャリア最後の安打は、これ以上なく豪快なグランドスラムとなった。
「最後だから無様なバッティングだけはしたくないと思って、それだけだったんです。あれは野球の神様が最後に大きなプレゼントをくれたんだな」
こう田代は振り返っている。
文=犬企画マンホール 写真=BBM