「グラウンド上の司令塔」と呼ばれる捕手は重要な役割を締める。守備での負担が大きく、ファウルチップなどで故障のリスクも他のポジションより高いため、試合に出続けて高水準の成績を残すのは至難の業だ。下記の4選手は捕手としての能力だけでなく、強打者としても重要な役割を担った。平成以降であなたが選ぶ「最強の捕手」はどの選手だろうか。
ID野球の申し子

ヤクルト黄金時代に司令塔として存在感を発揮した古田
・
古田敦也(ヤクルト)
※NPB通算2008試合出場、打率.294、217本塁打、1009打点
1990年代のヤクルト黄金時代に一時代を築いた名捕手。2000年代前半にかけてヤクルトの名捕手として一時代を築いた「ミスタースワローズ」。立命大時に大学日本代表で活躍してプロの上位指名が有力視されたが、メガネをかけていることが不安視されてまさかの指名漏れ。社会人野球・トヨタ自動車で力をつけてヤクルトにドラフト2位で入団すると、
野村克也監督の薫陶を受けて「ID野球の申し子」と言われた。捕ってから速く強肩で正確な送球は異次元だった。シーズン盗塁阻止率.644と通算盗塁阻止率.462は共に日本記録。高度なフレーミング技術で投手を育てた。打撃でもプロ2年目の91年に打率.340で首位打者を獲得するなど、捕手でプロ野球史上最多の通算8回のシーズン打率3割をマークした。
プロ野球記録の3021試合出場

心身ともにタフで簡単には試合を休まなかった谷繁
・
谷繁元信(
中日)
※NPB通算3021試合出場、打率.240、229本塁打、1040打点
通算3021試合出場は日本プロ野球記録。相手の弱点を執拗に攻める配球術に定評があったが、時折裏を突く予想もつかない攻め方に打者が戸惑うことも。横浜時代に
大矢明彦監督と出会ったことで野球に向き合う姿勢が変わり、技術、野球理論を磨いて球界を代表する捕手に。中日時代は
落合博満監督の下で「常勝軍団」の象徴的存在だった。頑丈な体でケガをしても心が折れない。試合に出続けたことに大きな価値がある。打率3割をクリアしたのは1度のみだが、2001年から2年連続20本塁打以上放つなど通算229本塁打とパンチ力があり、通算2108安打をマーク。プロ25年目、9693打席目での2000安打達成は史上最遅で42歳での到達も最年長記録だった。
日本人初のメジャー正捕手にも

攻守にスケールの大きいプレーが魅力だった城島
・
城島健司(ダイエー、
ソフトバンク、MLBマリナーズ、
阪神)
※NPB通算1323試合出場、打率.296、244本塁打、808打点
※MLB通算462試合出場、打率.268、48本塁打、198打点
捕手としての身体能力の高さ、攻守のスケールの大きさで言えば、城島がNo.1だろう。座ったまま一塁牽制、二塁に送球する地肩の強さはメジャー・リーガーを彷彿とさせ、球場をどよめかせた。ダイエーで
工藤公康、
武田一浩から配球術など捕手に必要な要素を学び、2001年から4年連続リーグトップの盗塁阻止率を記録。強打者として打撃も魅力だった。シーズン30本塁打以上を3度マーク。03年には打率.330、34本塁打、119打点でリーグ優勝、MVPに輝き、日本一に。09年の第2回WBCでは全試合でスタメン出場し、大会連覇に大きく貢献した。マリナーズでもメジャーで日本人初の正捕手として活躍。07年にリーグトップの盗塁阻止率.465と強肩強打の捕手としてメジャーで名を轟かせた。
巨人の捕手で史上初の400本塁打

強いリーダーシップで投手陣を引っ張った阿部
・
阿部慎之助(
巨人)
※NPB通算2282試合出場、打率.284、406本塁打、1285打点
巨人、球界を代表する「打てる捕手」として名を刻んだ。アマチュア時代から強肩と安定したスローイングに定評があり、2006、10年にリーグトップの盗塁阻止率をマーク。07年から8年間主将を務め、強いリーダーシップで投手陣を引っ張った。打撃でもチームの主軸として長年活躍。10年に自己最多の44本塁打を放ち、12年に打率.340、27本塁打、104打点で首位打者、打点王を獲得するなど長打力と確実性を兼ね備えた強打者だった。19年には巨人の捕手で史上初の通算400本塁打を達成。捕手で通算1000試合出場、通算2000安打、通算400本塁打を達成したのは野村克也と阿部の2人のみという事実が、すごみを物語っている。
写真=BBM