キャンプで判明した“人違い”

ロッテで活躍したレオン、リーのリー兄弟
1977年に来日、1年目から打撃2冠に輝いたロッテの
レロン・リー。翌78年には弟のレオンも来日してロッテへ入団、80年には兄が打率.358で首位打者、弟は打率.340でリーグ2位につけて、兄の34本塁打を上回る41本塁打を放っている。
猛打でパ・リーグを席巻した“リー・ブラザース”だが、弟のレオンが来日したのは兄のレロンが「1人より2人のほうがいいだろう」と、はたらきかけたためだという。確かに2人で爆発したわけだからレロンの言葉は間違いなかったが、そこだけを見ると、あっさりとした形で来日、入団に至ったことになる。近年では考えにくいことだが、その前後にも信じられないような経緯で入団した助っ人も少なからずいたことは事実だ。

68年から東京・ロッテ、ヤクルトで6年間プレーしたロペス
リー兄弟のいたロッテが東京と名乗っていた68年に入団したのがアルト・ロペスで、本拠地が荒川区の南千住にあったことから“下町の太陽”と呼ばれて人気を博した助っ人だった。このロペスの入団は、まさかの“人違い”。ほんとうは「ヘクター・ロペス」という選手を獲得しようとしていたが、セミリタイア状態となり百貨店で売り子をしていた「アルト・ロペス」に声をかけてしまったのだという。キャンプの段階で“人違い”が判明したものの、とりあえず(!)契約した東京。ロペスは
ヤンキースの3Aにいたが、ヤンキースには移籍金として1000ドル(当時のレートで約36万円)を支払ったという。もちろん格安だ。ただ、これが大当たり。ロペスは小柄ながら在籍4年すべてで20本塁打を突破、70年には打率.313もマークして、チームがロッテとなって初めてのリーグ優勝に貢献している。
一方、レオンが移籍した大洋で、チームが横浜となった93年に来日、入団したのが
ロバート・ローズ。もちろん近鉄の
タフィ・ローズとの“人違い”ではない。当初は一緒に入団した
グレン・ブラッグスの“おまけ”、あるいは“ついで”といった立ち位置だったが、すぐに立場は逆転。ブラッグスは4年で退団したが、ローズは2000年まで8年にわたって在籍して、98年には四番打者としてチームを38年ぶりリーグ優勝、日本一に導いている。
文=犬企画マンホール 写真=BBM