現役の梅野で悲運の払拭なるか
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阪神で2010年から12年まで背番号「2」を着けた城島
高校野球では捕手が着ける「2」。この傾向はプロ野球にも反映され、捕手と韋駄天タイプの二
大勢力といえる背番号だ。阪神でも2021年から捕手の
梅野隆太郎が背負っているが、捕手の系譜は21世紀に入って
日本ハムから移籍してきた
野口寿浩に始まったといえる。野口が横浜(現在の
DeNA)へ移籍すると外野手の
柴田講平が継承したものの、キャリアを通して「2」を背負い続けた
城島健司がメジャーから阪神でプロ野球へ復帰することとなり、1年で“剥奪”。城島の引退で内野手の
北條史也が後継者となったが、梅野に「2」を譲る形で21年からは「26」でプレーしている。ただ、着けた期間が10年を超える選手が不在と、1ケタの背番号としては安定感を欠き、期間では北條の8年が最長。野口や城島も含めて、基本的には移籍してきた大物たちの短期間リレーといえる系譜だ。
この潮流は阪急(現在の
オリックス)から1964年に来て、移籍1年目からリーグ優勝に貢献した
本屋敷錦吾から始まった。本屋敷は立大で
長嶋茂雄(
巨人)、
杉浦忠(南海。現在の
ソフトバンク)らと“三羽ガラス”と並び称された内野手。69年いっぱいで本屋敷が引退すると、いったん生え抜きで「73」、「38」と背番号を小さくしていた内野手の
野田征稔が継承するも、野田が本屋敷と同じ6年で引退すると、そこから西鉄、太平洋(現在の
西武)で“トンタケ・コンビ”と呼ばれた
東田正義、
竹之内雅史がリレーする。両者のあとは1年の欠番があったが、東田が2年、竹之内が4年と、それぞれ短期間だった。
その後も南海、日本ハムで活躍したスラッガーの
柏原純一、
広島“機動力野球”を象徴するスイッチヒッターの
高橋慶彦ら豪華な顔ぶれが次々に登場しては離脱。高橋の引退で93年にトレードでオリックスから来た
松永浩美はシーズン途中に前代未聞の「02」へと変更して話題となり、そのオフにFAでダイエー(現在のソフトバンク)へ去って物議をかもしている。翌94年には新人で内野手の
平尾博司が新たに「2」となるも、故障もあって一軍に定着できず、ブレークは99年オフに阪神が発祥の「00」に変更してから。それでも平尾は本屋敷、野田らと並ぶ6年間で3位タイにつけている。
平尾の後も
的場寛壱、
藤原通ら期待の新人がリレーするも、故障などもあって一軍に定着できず。縁起の悪いナンバーになりかけていたときに「2」となったのが野口だが、城島も阪神の「2」では故障に苦しみ、現役を引退している。北條もチャンスをつかんだ矢先に故障で離脱するなどの不運に見舞われた。梅野は去る2021年は順調。「2」に漂う悲運の印象を払拭してほしいところだ。
一方、本屋敷の前も安定感のある系譜だったとは言い難い。ただ、1ケタの背番号に投手が多い傾向のある阪神では、欠かすことができない物語があった。
捕手に始まった系譜
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背番号「2」を着け、52年には25勝を挙げた藤村
プロ野球が始まった1936年にイロハ順で背番号を割り当てた阪神。「1」は“イ”の
伊賀上良平がいたが、“ロ”からは間が空いて、「2」となったのは奇しくも梅野らと同じ捕手の
小川年安だった。だが、三番打者としても活躍した小川は1年で退団、のち戦火に消える。「2」は4年の欠番を経て41年シーズン途中に名古屋(現在の
中日)から来た内野手の
村瀬一三で復活するも、その村瀬もオフに引退するなど、安定感を欠く系譜がスタートした。翌42年には「1」でも紹介した
乾国雄が3代目となるも、2年で背番号そのものが廃止に。戦後は背番号のない44年に入団して内野手のほか捕手も務めた
小林英一が4代目となるも、やはり3年で移籍している。そして、現在の2リーグ制となった50年に5代目となった
藤村隆男で、初めて5年を超える。
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現在、阪神で「2」を着けているのは梅野だ
社会人の別府植良組から49年に阪神でプロ野球へ復帰した藤村だが、もともとは応召した兄の
藤村富美男と入れ替わるように阪神で40年にプロのキャリアをスタートさせた右腕で、当時は「9」だったが、49年の「20」を経て「2」となって、54年まで6年連続2ケタ勝利。56年オフに広島へ移籍するまで「2」を背負い、その7年間は北條に続く2位だ。
【阪神】主な背番号2の選手
藤村隆男(1950~56)
本屋敷錦吾(1964~69)
平尾博司(1994~99)
北條史也(2013~20)
梅野隆太郎(2021~)
文=犬企画マンホール 写真=BBM