86年の珍プレーMVP?
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86年に阪急入りしたアニマル
1980年代のパ・リーグは、現在では考えられないほど人気がなかった。いや、人気はセ・リーグ、特に
巨人へと集中していたのかもしれない。巨人戦は必ずといっていいほどテレビで放映されているのに、巨人と対戦していないセ・リーグのチームもそうだったが、パ・リーグの試合をテレビで観戦する機会は極めて限られていた。それでも、阪急(現在の
オリックス)の
アニマル・レスリーといえば、かなりのファンがプレー映像を見ているのではないか。ただ、スポーツニュースのダイジェスト映像ではなく、『珍プレー好プレー』の類のものだろうが……。
86年に来日したアニマル。長髪にヒゲ面、公称は身長200センチ、体重100キロと、大柄な体は漫画のような数字でも表現されていたのかもしれない。2022年は
日本ハムの“BIGBOSS”
新庄剛志監督がクローズアップされているが、新庄に先駆けて多彩なパフォーマンスを繰り出した右腕だった。これについてはあらためて詳しく紹介したいところだが、今回は『珍プレー』としてファンの目に最も焼きついている場面、クローザーとしてチームの勝利を手にした瞬間の珍プレー、というか“ラフプレー”についてだ。
特に当時は圧倒的な体格の差もあり、助っ人が有利(?)なことが多いラフプレー。といっても乱闘ではないが、乱闘のような光景にも見えた。アニマルは勝利の雄叫びをあげると、握手を求める捕手をボコボコに。捕手は、たいてい
藤田浩雅だった(印象だが)。顔をはたく、胸をド突くなど、かなり手荒い祝福に、藤田は「高めのボールが多くて苦労した上に……」とボヤいている。球質は重いものの、高めに浮かび上がる球が多く、アニマルのリードは難しかったという。
アニマルの“好女房”とも表現された藤田はプロ2年目の84年に正捕手としてリーグ優勝を支え、新人王に輝いた若武者。ただ、アニマルは藤田が若手だから“標的”にしたわけではない。その矛先は
上田利治監督にも向けられた。上田監督、このとき59歳。胸をド突かれ、「1カ月くらい痛みが取れない。肋骨にヒビが入ったかと思った」こともあったという。
文=犬企画マンホール 写真=BBM