日本一の司令塔が系譜の起源に
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現在、DeNAで背番号「39」を着ける嶺井
1980年代に
日本ハムで
ソレイタ、90年代にかけて
西武で
デストラーデが着けて助っ人の印象も強い「39」。以来、助っ人が目立つナンバーにはなったものの、もともとは捕手が多い系譜だ。「39」の選手が一般的になったのは2リーグ制となってからだが、早々に捕手が着ける傾向は始まっている。
一方、背番号の系譜に無頓着なのが持ち味(?)のDeNA。やはり2リーグ制となった1950年からプロ野球に参加した大洋が起源だが、功労者の背番号であろうと欠番を挟んだりすることは少なく、新人や移籍で加入した選手を後継者に据えるのは大洋からの“伝統芸”ともいえそうだ。そんなチームにあって、貴重な一貫性のある系譜が「39」。それも、57年から20世紀が終わるまでの44年間、捕手しかいないという、他の追随を許さない捕手の物語を紡いでいる。
2014年から現在に至るまで、プロ1年目から一貫して「39」を背負うのは
嶺井博希。なかなか不動の司令塔というわけにはいなかいが、その座に嶺井が就いたとき、3度目の日本一イヤーになるかもしれない。チームが誕生して8年目となる1957年に「39」の6代目となったのが
土井淳。大洋が初のリーグ優勝、そして日本一を成し遂げた60年の司令塔だ。
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60年、日本一時の正捕手・土井も背番号「39」だった
土井は明大から56年に大洋へ。ともに入団した右腕の
秋山登は同郷で、当時からバッテリーを組み、「ノーサインで投げていても、微妙な腕の角度で球種が分かった」と土井。まさに“親友バッテリー”だった。土井は1年目こそ「25」だったが、翌57年には「39」に。それまでは2代目の遊撃手の
引地信之が1年目に着けてブレーク、のちに捕手ナンバーの筆頭格となる「22」へと転じたことはあったが、特に「39」に捕手ナンバーという雰囲気はなかった。
まだ「30」といえば監督だった時代でもある。土井は日本一イヤーの60年には当時としては異例の兼任コーチとなっているが、その未来を背番号が導いたように見える。とはいえ、観察眼に裏打ちされた頭脳的なリードに巧みなインサイドワーク、そして強肩と、捕手の武器を完備したような土井だったが、兼任コーチという肩書もあってか、数字だけでは不動の司令塔に見えづらいもの確か。土井が当時のプロ野球を引っ張る捕手の1人だったのも間違いない一方で、「22」や「27」の存在感が大きくなったこともあり、その後の「39」に、控え捕手の背番号というイメージができてしまったのも、また事実だった。
捕手の系譜に“合流”した中村
68年まで現役を続けた土井は、72年まで専任コーチとしても「39」を背負い続けている。この4年間だけは厳密にいえばコーチの背番号だが、翌73年に東映(現在の日本ハム)で控え捕手だった
山本恒敬が継承。山本は76年には「57」に転じたが、83年から2年間は「82」でブルペン捕手を兼ねている。「39」は76年から
三浦正行が6年、法大では
江川卓(のち
巨人)の教育係でもあった
高浦美佐緒(己佐緒が)4年、のち
オリックスの二軍監督も務めた
岡本哲司が5年と捕手がリレー。岡本が90年シーズン途中に日本ハムへ移籍すると、交換で来た外野手の
二村忠美が閉幕まで着けたが、翌91年には西武から来て2年目、「83」の
秋元宏作が後継者に。“大魔神”
佐々木主浩とともに“リリーフ捕手”として長くチームに貢献、2度目の日本一イヤーとなる98年の「39」も秋元だった。背負った期間でも秋元の10年は土井に次ぐ2位だ。
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現役21年で一貫して背番号「39」だった中村
翌01年には新人で左腕の
稲嶺茂夫が継承するも、
中日の司令塔だった
中村武志が来たことで1年で「38」に。中村は3年で
楽天へ移籍するが、現役21年を一貫して「39」で過ごした背番号を象徴する1人だ。中村の移籍で05年だけは助っ人で内野手のウィットが着けたが、翌06年からは外野手の
内藤雄太が8年間で4位と、捕手ばかりの系譜で異彩を放つ。そして迎えた22年、この内藤を抜いて3位の9年目に突入したのが嶺井だ。
背番号でも「22」や「27」の“控え”に甘んじている「39」。嶺井には司令塔の座とともに、由緒ある「39」も“正捕手ナンバー”に定着させてほしいところだ。
【DeNA】主な背番号39の選手
土井淳(1957~72)
高浦美佐緒(1982~85)
秋元宏作(1991~2000)
中村武志(2002~04)
嶺井博希(2014~)
文=犬企画マンホール 写真=BBM